ウンコになって考える ②「ウンコ」になるということは・・・

[便論糞ぷん]

posted on 2011.11.27

コンポストトイレなどを除き、普通にトイレでしたウンコは下水道やバキュームカーなどで処理場に運ばれ、最後は燃やされて灰になる。それに対して糞土師のように野糞をして土に埋めれば、ウンコは生態系の循環に組み込まれて多くの生き物のご馳走になる。
このことに関しては、以前の記事を参照していただきたい。
「ウンコはいかにして土に還るか」 1〜4、2010・03・08〜13
「トイレでしたウンコはどうなる?」 2011・02・04
「生態系の要はウンコ」 2011・02・28

ウンコを土(自然)に還すことは、肥料などで活用して無駄にしないという以上に大きな意味がある。生きるために食べ、そのことで他の生き物から奪ってしまった命を、彼らにお返しすることなのだ。
野糞をすれば、ウンコは他の動物や菌類に食べられ、最後に残った菌類のウンコも植物に食べられて無くなってしまう。しかしそのことで、他の多くの生き物が命を得て行きてゆく。

ウンコになるということは、自分が消えて無くなるかわりに他の者を生かすこと。つまり、これまで自分が奪ってきた命をお返しするという、生きてきた責任を果たすことなのだ。

人間のよろこびには、大きく分けて二つある。ひとつは、自分自身の欲を満たす、つまり他から奪って自分のものにするよろこび。もう一つが、相手がよろこぶ姿を見て自分もよろこべるという、与えるよろこびだ。それは愛に通じるものだが、人間社会の中だけの愛ではなく、もっと大きな、自分を生かしてくれた他の生き物と自然への愛だ。
「責任を果たす」などと言うと、とかくつらくて大変なイメージを持ってしまうが、「ウンコになって考える」のは愛と同じで、大きな満足を得られるよろこびなのだ。

人々はこれまでずっと夢や希望、発展などを求めて生きてきた。たしかにそれらは美しい言葉だが、裏を返せば、ああなりたい、こうなりたいと言う欲望ではないか。それは「食」と同じ、他から奪うことで実現する目標だった。
そして人間が豊かになったことで、他の生き物も自然もボロボロに疲弊してしまったのが、今のこの地球の姿なのだ。

美しい言葉で欲をごまかすのは、もういいかげん止めにしたいと思う。そして、生きる責任を果たすために、ウンコになって考えてみませんか?

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