本物の豊かさを求めて

[便論糞ぷん]

posted on 2011.05.07

前回は風力発電の問題点を上げたが、太陽光ではどうだろう。発電パネルなどの資材の問題に加え、屋根への設置は別としても、大地への日照の悪影響など、いろいろ考えられる。今話題の電気自動車では、そもそも発電する時点でとんでもない環境破壊をしているのだから、CO2を出さないのは車を動かす時だけのことで、それはまったくのまやかしではないか。
石油に替わるバイオ燃料にしても、原料の作物を栽培するために大規模な森林伐採が進んでいる。

環境に良いと言われる様々な代替エネルギーの多くは、実はその裏で、これまで以上の深刻な環境破壊を引き起こしている。ではどうしたら良いのか。答えは単純明快。これまで使い過ぎていた石油や電気などの使用を減らすのが、最も確実で、てっとり早い解決策だ。どうして無駄と欲望を改めようという議論にならないのか、私には理解できない。

本物のクリーンエネルギーを目指すなら、必要最低限の電力を、沢の流れを利用する小規模水力発電とか、ウンコなどを発酵させるバイオ発電などに求めてはどうだろう。
しかしそうなれば、現在我々が享受しているような過度の利便性・快適性は到底望めなくなる。では、不便を抱えながらの窮乏生活を強いられるのかというと、それは違う。この私だって豊かさを求め、喜びがあるから生きているのだ。ただし、求める豊かさの中身が世間の常識とちょっと違うだけで。
あれもこれもと欲しいものを手に入れ、欲望を満たしたり、楽するだけが豊かさなのか?むしろ私はこう考え、そして感じている。心の安らぎ、相手を思いやる愛、それから責任を果たす満足感など、金を掛けず物に頼らず、安上がりで本物の豊かさが、その辺にいくらでも転がっているはずだ。
たとえば私は毎日野糞をする度に、生きる責任を果たした喜びに満たされ、極上の葉っぱで尻を拭く度に歓喜に打ち震えている。
これって生きる幸せだとは思いませんか、皆さん?

ページのトップへ