ウンコになって考える ③ウンコと死を見詰め、生を見極める

菌類による分解から、死んで腐って土に還ることの意義を知ったのは、まだ20代の時だった。そしてそれは、人生最大の難問、死の恐怖を遠ざけることにもつながった。
写真家として私の最大の仕事になった『日本の野生植物・コケ』では、きつい写真取材で心身共に消耗し、全ての作業を終えた2000年暮れ、ついに私は燃えつきた。しかし完全にカラッポになった心の中は、困難な本作りを成し遂げた喜びと満足感にしだいに満たされ、やがて「もう何時死んでも悔いはない」という想いに包まれた。
その想いは、まだ沢山あった本作りなどの欲をどこかへ追いやり、残りの人生を最も大切なことにだけ費やしたいとの想いに変わっていた。これこそ糞土師活動に方向転換する最大の動機だった。

最も大切なこととは、写真家を目指した時からの目的、腐ることの大切さを広め、生態系の循環に人の生き方を組み込んで、生きる責任を果たすこと。しかし、キノコやカビなどのいわば他者を使っての写真活動では、残念ながら思うような成果は上げられなかった。だからこそ全ての人に直接係わり、絶対に無視できない(無視したい人は大勢いるが)ウンコでの再挑戦に打って出たのだ。

欲は、一つ実現すればすぐに更なる欲が湧いてきて、きりが無い。しかし責任は、果たしてしまえば完結し、後には満足が残るだけだ。何時やって来るかわからない、しかし確実に訪れる死を見詰めることで、欲に振り回されて貴重な時間を浪費するような愚を避けられた。
とは言え、すんなりと糞土師に移行できたわけではなく、しばらくは様々な不安を感じていたことも事実だ。それなりに評価されるようになり、生活も安定した写真の仕事を捨てる不安。なれ親しんだ、便利で快適なものを捨ててゆく不安。これまでの人間関係も失いかねない不安・・・。しかし、より深くウンコを知るにつれ、それらの不安は薄れてゆき、それどころか不便だと思っていた中にも、今まで気付かなかった新たなよろこびまでが、次々に目の前に現れてきた。

そもそもウンコ自体は死物だが、それなのに多くの他者を生かす素晴らしい力を持っている。
ウンコでいいじゃないか!
ウンコを蔑む傲慢な人間の仲間入りなど、願い下げにしよう。
ウンコのように生きて(死んで)みようじゃないか!!