ウンコになって考える ④原発と自然エネルギー

本来の自然にも危険な放射能はあるが、原発の危険性は桁はずれにひどい。そしてなによりも、原発は人間の欲が造り出したものだ。ウンコは当然、原発を認めない。
福島原発事故で放射能の過酷な危険が現実のものとなって、人々に降りかかってきた。しかしすでに、私も含めた茨城県人は東海村JCO事故の経験があるし、それ以前にも日本人全体が、広島・長崎原爆の悲惨さを知っていたはずだ。
それなのに、次から次と原発が造られてきたのは、なぜなのか?

原爆や原発を造って権力や金を得ようとする者だけでなく、もっと豊かな暮らしを求める多くの人々の欲が、原発を造らせてしまったのではないか。しかもそのことを、安全や発展などというまやかしの言葉で言いくるめ、取り繕い、危うさを指摘する良識の声を踏みにじってきた。戦時中の軍と多くの国民が、こぞって平和主義を弾圧したように。

そして今、地球温暖化で脚光を浴びた太陽光や風力発電など、自然エネルギー開発が脱原発の声に乗って勢いを増している。
この現代社会では、豊かさや利便性、快適さなどを最も手軽に実現する手段として電力が使われている。電気無しではどうにもならない物だらけになってきた。
しかし、このままで本当によいのだろうか?
原発事故直後の電力供給が不安になった時には、あれほど皆で節電に努めたのに、喉元過ぎればなんとやら。今はもう、環境に良い電気自動車だ、LEDのイルミネーションだと、むしろ電力消費をあおり立てている。それらがどう環境にやさしいのだ?インチキにもほどがある。
太陽光パネルや巨大風車を作ったり設置したりするのに、どれだけの資源とエネルギーを使っているか考えているのか?原発も火力もダムも、そして太陽光も風力も潮力も、すべて環境を破壊して電力を得ているのだ。さらに、電気を食う電気自動車でもLED電球でも電線でも、それを作るだけで同様の破壊をしているのだ。

夜遅くまで眠らなくなった人間にはイルミネーションの光が心地良いかもしれない。しかしそれ以外の生き物には、闇も光と同じく欠かせない、極めて重要な生きる術だ。それを乱しておいて、自分だけ気分が良くなって、なにがいやしだ、なにが環境にやさしいのだ。

上辺だけ アホな癒しは いやらしい 復興支援の パンダもそうだ

根本まで見詰め、責任を基本にしたウンコになって考えれば、原発推進派も自然エネルギー派もキツネとタヌキの化かし合いにしか見えない。それとも、同じ穴のムジナか?
では、ウンコが出した答えは・・・また後で。