糞土師のひとりごと

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第9回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.03.04

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第8回

<第9回> 糞土師 ついにやけ糞に

原発再稼動や戦争法、庶民くたばれ金持ち繁盛とばかり金と権力欲にまみれ、最高法規の憲法も立憲主義も無視して理性のカケラさえ感じられない安倍政権。社会全体が急速に危険な方向に暴走しているのに、それでもまだこんな政権を支持する国民が大勢いるこの国に、政治の堕落だけでなく、日本人全体の堕落さえ強烈に感じている。
その一方でSEALDs(シールズ)などのように、これまでは政治に無関心だと思われてきた若者たちが目覚め、立ち上がって社会を動かし始めたのが希望だ。とは言っても私はまだ、この動きを全面的には信頼していない。それは物事の判断基準の中心がまだまだ良識や善悪にあり、糞土思想が強調する「責任」になっていないからだ(ノグソフィア19号「ウンコが未来を作る」参照)。ウンコ革命が目指すのは、正しさから責任へ、奪う欲から与えるよろこびに、根本から変えていく意識革命だ。それはすぐに実現できるものではなく、一つも二つも先を見据えたものだが、今現在進行中の動きも無視できない。

責任を決して引き受けず、ひたすら欲に突っ走る典型が、南京大虐殺も従軍慰安婦もなかったことにしようとする歴史修正主義者たち。その先頭にいるのが安倍晋三首相だ。『アベ政治を許さない』それはウンコ革命と同義でもある。そしてアベ政治と戦っている最前線が、沖縄の辺野古基地反対闘争だろう。 これを支援するために、母の葬儀や三十五日法要でいただいた(断り切れなかった)香典などは、沖縄県美ら島ゆいまーる寄附金、名護市ふるさとまちづくり寄附金、ヘリ基地反対協議会に全額寄付し、初盆では実費のみ差し引いた額と私のポケットマネーを辺野古基金に送った。それを合計してみると92万円になっていた。稼ぎの乏しい糞土師がここまで出来たのはやはり、がんのお陰で死を見詰め、しっかり覚悟が固まったからだろう。しかし寄付だけで、まだ体を張っていない。口内炎はある程度改善してきたとはいえ、相変わらず痛みと不自由さは続いている。もう少し体調が回復したら辺野古へ行って、座り込みに参加する。
普通ここは、「参加したいと思っている」とか「するつもりだ」などと書くものだが、それは出来なかった時の逃げ道を用意しておく、卑怯な手だと私は考えている。「不言実行」の中にもそれはある。言わなければ、やらなくても責められない。だから私は「有言半行」だ。そしてもし実行できなかったら、その時は死を賭して詫びることにする。
ついでにもう一つ。今話題のマイナンバー通知が届いた。こんな悪法には加担できない。封も切らずに焼き棄てた。そのことで生じる不利益は全部引き受ける。これが責任というものだろう。これを他人にまで求めようとは思わないが、私はそう生きる。

最後に、私にとって命よりも大切な舌を守っていただいた、小線源治療を探し出してくれた前田敏之さんと、治療していただいた東京医科歯科大学附属病院の吉村亮一先生はじめ医療スタッフの皆様に、心から感謝いたします。ありがとうございました。

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第8回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.03.02

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第7回

<第8回> ウンコ革命

人はよろこびを求めて生きている。そのよろこびは、夢や希望などという欲求を実現すること。そしてそれらの欲の多くは、他から奪い取ることで満たしてきた。生きるための食も、生活物資も贅沢品も、利便性を実現するためのものも、さらには権力などまでも、自然から、他人から、他民族から、奪って奪って奪いまくってきた。それが我々文明人の発展の歴史だろう。
しかし、欲こそは生きる力だ。欲を否定することはできない。だが欲を満たすには、奪うことだけでなく、愛などのように与えることでもよろこびという欲が得られることはみんな知っている。糞土師が目指すのは、奪う欲と与えることの欲のバランスをとって、全ての生き物が豊かな自然の中で安心して生きられる、そんな社会を実現することだ。そのために私は糞土思想を広め、ウンコ革命をおこそうとしているのだ。

9月の北海道講演旅行の最中に、胸の内でずっともやもやしていたものが、露天風呂の湯気の中からはっきりと言葉になって立ち現われた。糞土思想は『罪人(つみびと)の罪滅ぼしの思想』というものだ。私自身も食べて命を奪い、便利な文化生活を送っている、いわば奪って生きる罪人だ。だから命を返す野糞は威張れるようなものではなく、むしろ罪滅ぼしなのだ。そして全ての人間が私と同じ罪人なのだから、その罪を自覚し、みんなで罪滅ぼしをしよう、というのが糞土思想なのだ。
講演会の中で私は、ウンコに対して偏見だらけの常識だけでなく、良識や人権まで傲慢だと強く非難している。それは闘いだから強く激しく言っているのだが、聞く側からすれば、私の方こそ傲慢ではないかと思われているらしい。それに対応できる短い言葉をずっと探していた。糞土師は唯我独尊の教祖様などではなく、罪人であり、むしろウンコの僕(しもべ)なのだ。ということで、少しは正しく理解してもらえるようになるだろうか?
ついでに、常識・良識・人権についても簡潔な言葉を思いついた。『常識は思考停止。良識は八方美人の自己保身。人権は人間中心主義の傲慢の塊』これについては次号で詳しく書くことにする。

第8回 糞土師 ついにやけ糞に

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第7回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.03.01

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第6回

<第7回> 糞土師 がんで活かされる

正月の母の葬儀から始まった2015年。舌がんでの病院通いは入院も含めて50日に及び、痛みをドーパミンとアドレナリンで騙しながらしゃべり続けた講演会は40回、そしてフィールドワークが9回。はっきり言って大変な1年だったが、がんになって良かったとつくづく思っている。
2012年の夏には交通事故であわやの死を経験したが、それは一瞬の出来事で、きちんと死に向き合う時間はなかった。しかし今回は、ネット社会の外にいて情報も最新医療の知識にも乏しい私は、「がん=死」という古めかしい頭のまま、当初は治療も遠ざけ、多分死ぬかもしれないという想いを目の前にぶら下げながら長い時間を過ごすことができた。
死は、次の者に命を渡すための一つの区切りだが、自分自身にとっては将来を失うことになる。もし生きることに絶望しているなら、死はある種の救いになるかもしれない。しかし私は失敗こそ糧になると考えるくらい全てを肯定し、未来にも大きな夢を描いている。『続・ウンコになって考える』(ノグソフィア15号)ですでに死の価値をきちんと捉えたつもりでいたが、これからの夢や可能性などを無にすることは決して望んでいない。もっと生きて、もっと理想に近付きたいという想いは強い。つまり死について、自分自身の中で理屈と本音の闘いをずっとし続けてきたのだ。死を怖くないと思いつつも、言いつつも、決して達観していたわけではない。それが今回の舌がんでようやく、自信を持って『ウンコになって考える』ようになれたのがうれしいのだ。
『食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方』という糞土思想の中心にあるのが、命の循環、つまり命のやりとりだ。いただく命が食であるのに対して、与える(返す)命が死物であるウンコと死骸だ。ウンコと死を受け入れられずに偉そうに命を語ることなど、私にはできない。

第8回 ウンコ革命

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第6回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.29

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第5回

<第6回> 糞土師 サドでマゾになる

11月26日、東北道から磐越道経由で新潟港を目指した。ところが磐越道は雪でチェーン規制。写真家を辞めてからなるべく車を使わないようにしている私は、車を軽にしただけでなく、スタッドレスさえ拒否して夏タイヤのままだ。途中でUターンして関越道へ、とんだ遠回りを余儀なくされた。
この日は早朝発に加えて雨も降っていたため、野糞は佐渡へ渡ってからと決めていた。薄暗くなった田んぼの縁の林で済ませて畦道へ出ると、こちらに向かって車のヘッドライトが煌々と輝いている。人が出て来て「ここは立ち入り禁止です!」。監視員の叱責に、そこがトキの餌場だったことをはじめて知った。野糞のことは伏せたまま素直に謝ると、むしろ親切にトキのことを色々と話してくれた。これを「クソから出たまこと」と言うのだろうか?
夜9時に終わる予定だった講演会は熱を帯び、解散したのは11時過ぎ。素泊まりで夜は管理人もいない宿舎に戻ると、玄関は施錠されていて入れない。この寒空にどうしよう、と思案していると、数年間の佐渡暮らしで勝手知ったる糞弟子1号(今回の講演旅行を企画し、同行していた海野政人さん)が、勝手口から侵入して玄関を開けてなんとか事なきを得たが、サドの初日は幾多のトラブルに泣かされた。
翌日の講演会は、立派な古民家を移築した大きな囲炉裏のある会場だった。一通り講演が済むとそのまま、質疑や参加者全員の自己紹介などを兼ねた宴へと突き進み、酒も入って議論白熱。気が付けば夜中の1時になっていた。
3日目は移動日だが、まずは上トグロの野糞を済ませ、昨夜の残りのキノコ鍋を平らげて両津港へ向かう。港に着く少し前から、どうも胃のあたりがムカムカシクシク痛みはじめた。サドの締めはキノコ中毒? さいわい出港まで少し時間がある。下痢はしなかったが、港近くの狭くて細長い防風林で傘を広げて目隠しにして、直腸をスッカラカンにしてからフェリーに乗り込んだ。夕方近く宿に着き、明日の主催者と打ち合わせやフィールドワークの下見を簡単に済ませ、この日は早々に床についた。

29日は角田山妙光寺というお寺を会場に、午前中にまずフィールドワーク、午後スライド講演といういつもとは逆の構成だった。「理解してから実践」ではなく、「まずは実践(の下準備)から」。初の試みだったが、野糞の意義や、お尻を拭く葉っぱの基本と見分け方を手短に話して、「マイ葉っぱ」探しとその自己評価を参加者全員に振った。こちらから一方的に教えるのではなく、参加者自身が探し、考え、発表することで、私が楽になった以上に思わぬ発見があったり、和気あいあいとした講座にもなった。
午後のスライド講演は、最初から最後まで最前列で、住職さんにもしっかり聴いてもらえた。講演会は糞土思想の布教活動のようなものだし、いずれはお坊さんとのコラボも考えている私にとって、これは非常にうれしいことだった。おまけに熱心な参加者とその場で、来夏の「うんこキャンプ(8月5~6日、新潟県湯沢町)」が決まるなど、収穫は多大だった。しかしこの講演旅行で、口内炎はまたもや悪化の憂き目をみることになってしまった。

帰宅してゆっくりする間もなく、鳥取から糞弟子3号の柴田英昭さん(本誌20号「伊沢さんに展覧会…」参照)がやって来た。12月20日の大阪と、1月下旬の鳥取での講演会を手土産に。口内炎はますます長引くかもしれないが、こんなうれしいお土産は断れない。いつまでも一進一退を繰り返す糞土師に、はたして完全復活は訪れるのだろうか?

>第7回 糞土師 がんで活かされる

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第5回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.24

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第4回

<第5回> 危険な講演再稼動

本格的な講演会の再開は、9月12日の兵庫県川西市と大阪での2講演(p.11~14参照)。続いて13日に京都の京(みやこ)エコロジーセンターで講演とフィールドワーク。いきなり二日連続のハードスケジュールになった。おまけに11日の晩は川西の糞っ玉母ちゃん宅にお世話になり、ビールとワイン(量は控えてチビチビだが)を飲みながらはじまった夕食はとめどなく盛り上がり、深夜1時まで話し続けた。
翌日は早起きして、朝食前に野糞に行く。午前の講演会と昼食が済むと皆で近くの公園へ行き、尻拭き用葉っぱの観察会。急ぎ大阪へ移動して、ここでも講演と夕食会で話が沸騰し、銭湯から帰ってからも夜更けの2時まで話し込んでしまった。
寝不足で京エコロジーセンターに着き、休む間もなくフィールドワークの下見をして講演会が始まる。終了後は、本誌で縄文人シリーズを連載している安田陽介さん宅にお邪魔した。安田さんの友人知人が十数名、三々五々集い、安田さんの○○祝いを兼ねて賑やかな宴が始まり、これもお開きになったのは夜中の12時。つまり、11日の夕刻から13日の夜中まで、睡眠時間も削ってほとんどしゃべりっぱなしの五十数時間を過ごしたことになる。口内炎はすっかりぶり返し、久し振りに痛み止めを飲むはめに陥った。それでもまだ休めない。

翌週の20日は栃木県益子町主催の土祭(ひじさい)で話し、25日からは北海道へ。26日の厚岸町では教育委員会主催で、27日は野付半島ネイチャーセンター、そして29日に釧路市立図書館で講演会。
おまけにこれらの講演会の前後にいきなり、尻拭き葉っぱを紹介するNHK『マサカメTV』の取材と収録が入り、ここでも正味10時間くらい舌を酷使しなければならなかった。実際に放映された内容は私が期待した1~2割に過ぎないが、テレビでの貴重な第一歩を踏み出したことは間違いない。
10月に入ると岐阜と長野と岡山でまず4講演。そして極めつけは27日に、日吉の慶応義塾で10~18時の間に連続3講演。その後の夕食では熱心な学生数名を交えて、遅くまで話に花が咲く。しかも彼らと翌朝6時半に待ち合わせ、日吉キャンパスの森で連れ野糞! ここでも2時間しゃべりっぱなし。その直後の医科歯科大学病院での診察では、「舌の右半分(がんになった部分)が強張っています。がんの再発はないようですが、一度完全に口内炎を治さないといけません」。ごもっともな診断が下った。
翌週末の11月7~8日は、九州の伊万里と佐賀で講演会が決まっていた。今度こそはと慎重に、講演以外のしゃべくりを極力抑えた。その甲斐あって帰りがけの病院では、それまで半月ごとの診察だったのが、「次の診察は一ヶ月後にしましょう」。ちょっとうれしい結果が出た。年内は、残るは11月26~29日の佐渡ヶ島・新潟講演のみ。その後は来年2月末の講演まで予定は入っていない。この調子で今年最後の講演旅行を済ませ、冬の間はゆっくり舌を休めて完治しよう。心積もりはそうなのだが…

第6回 糞土師 サドでマゾになる

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第4回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.23

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第3回

<第4回> 治療が終わって糞土師は・・・

7月21日の昼近く、舌に刺した針を抜いて小線源治療が終了した。それまでの痛みと不自由さから、治療が済んでもしばらくは辛い日々が続くだろうと覚悟していたのだが…
さほど苦痛もなく次々に針が抜かれてゆく。最後の1本が抜かれて舌が自由になった。しゃべれる!ものの10分と経たないうちにほぼ平常の状態に戻っていた。病室で荷物をまとめて退院の準備をしていると、間もなく昼食が運ばれてきた。五分粥だが痛みもなく普通に食べられる。予想をはるかに超える小線源治療の素晴らしさだった。講演会でしゃべるのが専門の私にはちょっと当てはまらないが、普通の仕事なら退院後一週間で職場復帰できるというのは本当だった。
治療中こそ辛いものの、こんなに優れた小線源治療がほとんど知られず、広まりもせず、「絶滅危惧医療」とまで言われるのはなぜだろう。具体的なことは割愛するが、ひとことで言えば医療業界にとって旨味のない、あまり儲からない治療法だからだ。金銭経済最優先社会への批判はさておき、その後の経過に話を進めよう。

6月から続いていた味覚障害は、退院後ひと月も経たない8月半ばから、医者も驚くほど早く、急速に改善していった。生きるよろこびの一つが、おいしく食べること。しばらくはまるで「餌」だっただけに、この時ほど食への感謝を強く感じたことはなかった。その一方で、小線源治療の説明時に言われたように、退院して間もなく酷い口内炎の痛みに悩まされるようになった。しかしそれも8月の頭をピークに、徐々に快方に向かっていった。
そしてまた、口内炎が治るまで三ヶ月くらいは講演会を控えたほうがいいとも言われていた。しかし治療のために6月から8月に予定していた講演会を八つキャンセルしたのが悔しくてならず、その分を早く取り返そうと、9月以降の講演会に闘志を燃やしていた。
8月末に急遽、前田さんが主催する「月3万円ビジネス夏祭りin高円寺」で、小手調べのつもりで軽く40分のミニ講演をさせてもらった。舌はまだちょっともつれ気味だったが、まあまあの出来で、そろそろ大丈夫だろうと慢心したのがまずかった。

第5回 危険な講演再稼動

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第3回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.22

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第2回

<第3回> 糞土師 入院に負ける

御茶ノ水での小線源治療が決まった段階で、地理的にも隔離部屋という制約からも、牛乳パックでのウンコ持ち出しは早々に諦めた。かといって、ウンコが詰まった牛乳パックを何日間も病室に置いておくのは許されない。いくら信念でも、病院に迷惑をかけてまで押し通すわけにはいかない。
次善の策として、排便を我慢してトイレの使用回数を減らすという手もあったが、これではトイレに流す量は変わらないのが問題だし、健康管理という面からは愚の骨頂だ。たとえ軟弱と言われようが、郷に入らば郷に従え。この期に及んで悪あがきはやめることにした。

じつは21世紀に入ってから入院するまでに、私がトイレでしたウンコは3回のみ。平均すれば5年に1回のペースだが、それらのトイレ糞には次のような事情があった。
2013年7月16日。編集者と『うんこはごちそう』の大切な打ち合わせをする直前に、新宿駅で下痢をした。編集者との約束を優先したため、連続野糞記録は13年と45日で途切れたが、打ち合わせは大成功。絵本はその年の暮れに上梓された。
14年8月23日。沖縄での講演会「旅するウンコ」の最中に体調を崩し、講演を中断してトイレに入る。脂汗を垂らしながら排泄したその30分後には完全回復し、最後は絶好調で講演会の幕を閉じた。
15年4月19日未明。靴箱のカギをフロントに預ける形式のホテルに泊まり、夜中に胃がキリキリ痛んで目覚めたが、靴がなくて外へ出られない。しかたなくトイレに籠ること40~50分。その最中に同室の人に覗かれたりもしたが、すっかり出し切って体調回復。朝食は問題なく完食できた。
命を返せないトイレウンコは私にとって極めて残念なことだが、失敗の都度このようにして、大きな成果を上げたり、毒素を排除して健康になるウンコの重要性について実証を重ねているのだ。

ということで今回は、入院する13日は早朝発のため、庭で野糞をしてから家を出た。生まれて初めての入院という記念すべき日でもあり、とっておきの特級品:ノウタケで尻を拭いた。
入院中の14日から20日までは、その間に6回、貴重なウンコをトイレに流してしまった。つまり、今世紀のトイレウンコは9回となり、記録としては大幅に低下したのだが、舌を切らずに済んだことを思えば諦めもつくというものだ。
治療を終えて退院する7月21日は少しだけ我慢して、帰宅してから野糞をしようと考えていた。ところが放射線治療の後遺症かその日から一ヶ月ほど便秘ぎみになり、8月22日までの間にウン休日が十日にも上ったのは予想外の出来事だった。

>第4回 治療が終わって糞土師は・・・

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第2回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.21

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第1回

<第2回> 夢の小線源治療

そうこうする内に、過過糞(すぎかふん):前田敏之さんから思いもかけない朗報が届いた。WEB担当で講演会運営の要にいる前田さんにも舌がんの件は知らせてあり、心配した彼は得意のインターネットを駆使し、素晴らしい治療法を探し出してくれたのだ。
それは『小線源治療』といい、放射線の出る針を直接舌に刺してがん細胞をやっつける。この治療なら切らずに済み、回復も早いのだが、問題はⅡ期までのがんにしか使えないことだった。私のがんはⅢ期だが、なんとしてでも小線源治療で行こうと決意し、それは御茶ノ水の東京医科歯科大学病院で受けられることもわかった。
さっそく次の診察で担当医にその旨を伝えると、小線源治療が失敗した場合の怖い話を交えながらも私の決意に押され、渋々(?)紹介状を書いてくれた。それからは中央病院と御茶ノ水を行ったり来たりの病院通いに忙殺される日々がはじまった。
様々な検査に加えてⅡ期までがんを縮めるため、抗がん剤と放射線治療を中央病院で受けながら、御茶ノ水では歯科も交えて小線源治療の準備を進める。同じ日にそれぞれの病院に通うことすら一度ならずあったほどだ。
そんな状況にありながらも、治療の合間をぬって6月中に奥会津、京都、信州菅平で講演会を7回、フィールドワーク2回、そして対談を一つこなした。ちょっと無謀かもしれないが、私にとってはこれが「生きる」ということなのだ。

予想以上の速さでがんは小さくなり、20回予定していた放射線治療は15回で終了。抗がん剤の服用も7月7日で終わり、13日に東京医科歯科大学病院に入院した。治療中は口が一切使えなくなるため、食事も薬も鼻から通したチューブで注入する。その予行演習や、顎や歯茎への悪影響を避けるために装着するスペーサーという入れ歯のようなものの調整などの準備を経て、15日にイリジウム針を舌に刺し、いよいよ7日間の小線源治療がはじまった。
舌に放射線源を埋め込むということは、私自身が放射性物質になるということだ。病室は放射線が漏れないようにガッチリ作られた隔離部屋で、もちろん外出は禁止。面会も厳しい制限がある。放射線治療の影響ですでに6月半ばから味覚は失っていたのだが、食感すらない流動食と薬は部屋の入り口に置かれ、その後は全部自分一人でやるしかない。ナースコールを押さなければ看護師は来ないし、来ても放射線を遮断するぶ厚いつい立て越しの筆談という不自由さ。舌はパンパンに腫れて少しでも動かそうものなら痛みで引きつる。大量に出る唾や痰は吐き出すことも飲み込むこともできず、仰向けで眠るのは危ないので横になって垂れ流しという情けなさ。オシボリのみでシャワーもない一週間は、楽しみといえばウンコをすることくらいだ。ところがこれこそ、糞土師にとっての大問題なのだ。

>第3回 糞土師 入院に負ける

舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第1回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.20

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<第1回> 糞土師 舌がんになる

2014年秋から悩まされていた口内炎(?)は、年が明けてもさっぱり治る気配がない。おまけに2~3月になると、睡眠中に時々よだれを垂らすようになってきた。ある朝目覚めると、枕とシーツが真っ赤に染まり、鏡を覗くと舌の裏に穴が空いている。やはりがんかもしれない、という思いが深まった。しかし生き物である自分には自然免疫があるはずだし、それが病に負けてしまうなら、死期が訪れたのだと腹をくくるしかない。糞土思想のひとつ『ウンコになって考える』は死生観でもある。いよいよそれを体現する時が近付いたのだろう。しばらく前から、私は健康診断も拒否しているのだから。
4月になると舌の腫れはさらに酷くなり、食べるにも話すにも支障をきたすようになってきた。その一方で、講演会はこれまでのペースを上回る勢いで決まってゆく。命は惜しくはないが、糞土思想を広めるためにまだまだしゃべり続けなければならない。5月の連休中と10日に千葉と栃木であった3つの講演会を乗り切ったところで、長年の禁を破って病院に行くことにした。

「…大きさは…4センチ。舌がんです。タバコは吸いますか?」「いえ、吸いません」「では、何か思い当たる、がんになるような原因は?」「良識が悪いとか人権派は最悪だとか、あちこちで憎まれ口をたたいているので、舌禍が降りかかったんでしょう」とっさにうまい駄洒落が出たと悦に入ったのだが、残念ながら笑いは取れなかった。5月14日の地元病院で、がん宣告での医者とのやり取りだった。
翌15日、朝一番で紹介状をもらい、がんセンターが併設された県立中央病院へ。すでにⅢ期まで進行し、舌を半分切除するという医者の診断に、「私にとって舌は命以上に大切です。しゃべれなくなるくらいなら手術はせずに、死ぬまで一つでも多く講演をし続けます」「いや、完全に言葉を失うわけではありません。元通りに話すのは難しいかもしれませんが、リハビリで話せるようになります」。この言葉に希望を見出した。
糞土師活動はまだ道半ばにも達していない。すでに決まっている幾つもの講演会を棒に振るのは悔しいけれど、長い目で見ることにしよう。その場で手術は7月1日に決まった。そこで頭をよぎったのが、手術入院中のウンコをどうするかだった。
家に帰って直ぐ、信頼できる快便陶芸家:小峰尚さんに電話した。「実は舌がんで手術することになってしまい…」事情を手短に話して本題に入った。「牛乳の空パックを貯めてくれない? 入院中にそれを差し入れてもらい、かわりにウンコの入った牛乳パックを持ち帰って、中身を林に埋めてほしいんだ」いきなりウンコの運び屋を頼まれた小峰さん、受話器の向こうからアタフタしている様子が伝わってくる。糞土研の会計担当でもある彼は、お金だけでなくウンコの出納も快く(?)引き受けてくれた。ただ、一人きりで毎日面会に来るのは厳しい。誰と誰にも声をかけてローテーションを組み…、具体的な実施計画が進みはじめた。

>第2回 夢の小線源治療

2015年 糞土師のごあいさつ

[糞土師のひとりごと]

posted on 2015.04.13

 旧正月(2/19)さえとうに過ぎ、世間の常識からとことんズレている糞土師の、新年のごあいさつを申しあげます。

 昨年の糞土講演会の幕開けは2月1日。大阪での『松下幸之助花の万博記念賞』の受賞講演(これは大変だったけれど面白かった)に始まる、関西と東京・三軒茶屋での5連続講演でした。その4泊5日の旅に出た直後の1月31日午後、母が心筋梗塞の発作で緊急入院。ケータイを持たない私にはその連絡が入らず、幸か不幸か何も知らずに、授賞式~講演会~FMラジオの収録を予定通りに済ませ、2月4日の夜帰宅。留守電で事態を知った直後からとにかく慌ただしい毎日で、昨年のごあいさつも3月にもつれ込みました。

 母は3年前に転倒、骨折して3ヶ月入院し、とうとう寝たきりになり、退院と同時に特別養護老人ホーム:県西せいかん荘に入所していました。せいかん荘の袖山先生や職員の方々には以前からデイサービスや訪問入浴などでお世話になり、気心の知れた最も信頼できる存在でした。そして母は、延命治療は望まず、長生きよりも、ホッとできるせいかん荘で静かに最期を迎えることを願っていました。とは言え、手術はうまくいったものの、次の発作が来たら危ない、という不安を抱えながらの一年でした。
 そんな中、せいかん荘で昨秋、職員講習会として糞土講演が実現しました。母も車いすで特別参加。みんなの前でウンコ写真まで親に見られるのは、なんとも気恥ずかしい限りです。しかし、子供の頃は反発ばかり、高校中退では将来への不安で大変な心配をかけ、その後写真家として認められるようになって安心したと思ったら、今度はウンコで闘う糞土師になってしまい、一体全体どうなることやら・・・この際、糞土師としての実態を知って安心してもらうのも親孝行かと思い直し、心の重荷を一つ下ろせた気分でした。
 母は時々体調を崩しながらもそれを乗り越え、穏やかに新年を迎えたのも束の間、9日に急変。オシッコが止まり、声も出なくなってしまいました。それでも意識はしっかりしていて、こちらの問い掛けには頷きで疎通をはかり、痛みも苦しみもほとんどなかったのが幸いでした。袖山先生からは「今日か明日」と言われながらも5日間持ち堪え、最後は安らかに眠ったままで、14日に92歳の生涯を静かに閉じました。
 私が追究している糞土思想では、死んだら土に還ることを理想とし、形式的で盛大な葬儀ももったいないと考えています。しかし、社会の慣習の中でずっと生きてきた母に、それを押し付けようとは思いません。この世に生を授けてくれた母への最後の孝行でもあります。18日に通夜、19日には母の希望通りの告別式を営み、火葬して墓に納骨。三十五日の法要も2月11日に済ませました。ただ、母自身も生前から、なるべく簡素にすることを望み、組内と近い親戚に限定し、さらに体の不自由な方の負担にならぬよう、通知する相手は極力絞り込んでいました。
 そして、これは母の遺言ではないのですが、これまでの慣習を続けるのは困難な現実も踏まえ、組内の方々にも諮って、お見舞いや香典は辞退することにしました。しかしその決定前に頂いてしまったり、どうしても断り切れなかった分はどうしたら良いか、いろいろ考えました。
 前々から母は、戦争で傷ついた人などを救う「国境なき医師団」に寄付をしていました。この母の志に倣おうとも考えたのですが、戦争になってから怪我人を助けるより、そもそも戦争を起こさないこと、平和を実現することこそ大切です。各地の紛争は収まるどころかますますキナ臭さを増し、その先頭に立つのが米軍でしょう。日本もその尻馬に乗り、集団的自衛権や秘密保護法、武器輸出緩和などに突っ走る最近の状況は、まさに戦前です。沖縄の辺野古では今、平和を願う人々の声を無視する安倍極右政権のごり押しで、貴重な自然を破壊し、戦争のための米軍新基地が造られようとしています。基地建設反対に立ち上がっている沖縄県と名護市、そして現地で座り込みを続けている人々(沖縄平和運動センター・ヘリ基地反対協議会)への支援として、葬儀と法要で頂いた全額(62万円)を寄付させていただきました。

 実はこの葬儀までの間に困った事もありました。
 母が亡くなった2日後の16日夜、千葉県柏市での講演会が決まっていたのです。世間一般ではキャンセルやむなし、と考えるのでしょうが、私にとっては命と引き換えにしてでも大事にしたい講演会です。その前後の予定は取りやめたものの、夜中に車を飛ばすなどの強行軍で講演してきました。そして18日が友引だったため、告別式はさらに遅れて19日に。この事で長女が腹を立て、親の私が子供の方から勘当されかねない事態に陥りました。
 人それぞれに大切にしている物事は違うし、見方も感じ方も千差万別。どのような結論を出すかはその人の自由であり、権利でもあると私は考えています。たとえば、庭の落ち葉や枯れ草を汚いゴミと見るか、それとも朽ちて大地を肥やす命の素と捉えるか。前者ならきれいに掃除するのが当たり前。しかし後者である私は、生活に支障がない程度にしか片付けず、腐るにまかせて放ってあります。これで次女の烈しい怒りを買いました。
 親子であっても別人格。強制せず、縛られもせず、それぞれに信じる道を歩むしかありません。親が亡くなり、子は遠ざかり、これまでとは違った新たな局面を迎えつつあります。

 葬儀直後の1月24日から2月22日、トーキョーワンダーサイト本郷での『すもうアローン』展で、写真展示と4回の講演会を行いました。以前にも新宿ペンタックスギャラリーや鳥取県博などで、キノコの陰に隠れてウンコ分解の写真を小さく展示したことはあります。しかし今回は堂々と、ウンコ関連の写真ばかり25点をB4~BOサイズに大伸ばしして、11mの壁面を埋めました。しかも、ここまでは受け入れられないだろうと自主規制していた「正座するウンコ」(トグロウンコのアート的変形バージョン)や「完璧下痢便」(自然に命を返す貢ぎ物として、最も栄養化の高い特級品)まで衆目に晒しました。これは世間の良識への挑戦、という企てでもあったのですが、目立った批判もなく不発に終わり、まさに「ひとり相撲」でした。
 一昨年秋に青森で、縄文遺跡を舞台にバスツアー講演会を行ったのが縁となり、この春リニューアルオープンする小牧野遺跡資料館から、展示品制作への協力依頼がありました。それはウンコの分解過程などの展示で、①出たてのウンコにハエがたかり、ウジを産みつける。②腸内細菌や土中のカビによる分解途中のウンコに、フン虫やアリが潜り込んで食べている。③分解が済んだウンコはミミズが食べて団粒土になり、木の根が伸びてきて養分を吸収する。 というリアルなレプリカです。
 糞土師になって今年で10年目ですが、これまでずっと闇に葬られてきたウンコも、徐々に陽の目を見るようになってきました。昨年、一昨年の慶応大学での講座も予想外の好評で、今年もすでに3回目の授業が決まりました。「石の上にも三年」ならぬ、「クソの上にも10年」です。
 
 昨年は北海道から沖縄まで、辻説法も含めて50回ほど講演を行いました。暑さでバテ気味だった8月の沖縄講演では、その最中に急に体調を壊し、講演を中断して今世紀2度目のトイレ糞! トイレの中で苦悶しながら、翌日の講演会は中止かと絶望的な思いに沈んでいたのに、会場に戻って続きを話している間に急速に回復し、講演が終わる頃にはまるで空気になったかの様に身体が軽やかになっていました。これが絶好調という感覚か! 自然に命を返すための大切なもの、というだけでなく、体内の毒素を捨てて健康を保つためにも、ウンコ(排泄)の重要性を改めて実感した出来事でした。
 また、毎週2回ずつの講演会が続いた秋には、五十肩と酷い口内炎(これらは今も続いています)に加えて、風邪とジンマシンと視野の震えに襲われ、一人で講演活動を続けることの限界も痛感しました。
 しかし自分の生きる責任に向き合い、自然と人間の本物の共生を目指す糞土思想は、今後の人間社会に最も必要なものだと確信しています。この思想をもっと強力に広めることが私の強い願いであり喜びでもあります。そのためにはまた、理論(男性的)だけではなく、感覚的にもみんなが納得して受け入れられるように、母性を兼ね備えた糞土思想に深める必要性も強く感じています。
 ある意味身軽になった事を活かして、私の持っている全てを、糞土思想を広めるために使い切りたいと考えています。具体的には弟子を採り、一人でも多くの糞土師を、特に女糞土師を養成することです。糞土師ホームページには 糞弟子募集要項 が出ています。自薦他薦を問わず、ご連絡下さい。
 今後ともよろしくお願いいたします。

2015年春 糞土師:伊沢正名

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