糞土研会員より

トイレ的思考と土的思考 会報25号(2019年)より

[糞土研会員より]

posted on 2020.01.02

30代女性会員からの寄稿です。

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鶴のうん返し:Y.E.(北海道)

みなさん初めまして。北海道在住のY.E.と申します。
一昨年、伊沢さんに自宅で講座をお願いして以来、自分が気持ちいいと思える範囲で「マイペースノグソ」を続けています。

我が家は原野の中にポツンと立っており、仕事も自宅でしているため、「マイペースノグソ」の障害となる外的要因はほとんどありません。
誰にも会わずにことを終えられますし、たとえ埋めずに置いておいても、3日もすれば獣や虫に食べられて跡形もなくなっています。
ですから、継続の成否は主に自分自身の心の持ちようにかかっています。
これまで、継続にあたって最も力となったのは、「ノグソってなんて清潔なんだろう」という驚きと、「土に受け容れられた」という安らかな感覚でした。

「ノグソ」と囁かれた人が反射的につぶやく言葉は、100人中80人くらいが「汚い」なんじゃないでしょうか?
汚い、不潔、くさい、そんなイメージですよね。

わたしも「ノグソ」という言葉に抵抗があったので、今に至るまで自分では「お返し」という言葉を使っています。
初めて「お返し」をしたとき、それはいわゆる「バケツノグソ」でした。敷地の中の誰も行かない場所に行って中身を出すと、そのままにして置いておきました。どうなるのか見たかったからです。
2日でなくなりました。
形もない、臭いもない、跡すら残っていません。もちろん野生動物が少なくても、埋めれば同じです。
「なんて清潔な排泄の仕方なんだろう!」と驚きました。

対するトイレは、ブラシの届かない場所や下水管の中がどうなっているか想像もしたくないという方が大半でしょう。不潔です。不潔だから除菌します。でも除菌しきれません。
トイレという「菌を許さない場所」では、「ばい菌」がいれば不潔に感じます。でも「ばい菌」なんてどこにでもいますから、「菌を許さない思考」である限り、結局どこまでいっても不潔です。

ところが、土という「多様な菌や生命に満ちている場所」では、不潔なものはないのです。

トイレでは不潔なものが、土の上では不潔ではなく、必要とされ、誰かの役に立っているということ。
土の上ではすべてが受け容れられ、ひとつの世界を形作っているのだということ。

少しずつ実感するごとに、「トイレ的思考」は「土的思考」へと変化してゆきました。
そして「お返し」を通じて「生き物を受け容れる土の世界」の一員となったことに、わたしは自分でも驚くほどの清々しさと安らぎを覚えたのです。

よく考えると、人間社会でも同じようなことがあります。
「要らない」「迷惑」「社会のお荷物」そんなふうに人を選別し、排除しようとする言説に出会うこともあります。
ノグソというのは、そういうすべてのトイレ的思考に対する挑戦、でもあると考えるのは話が飛躍しすぎでしょうか?

「お返し」をするたびに、わたしは土との結びつき、自然との結びつきを感じます。
残る課題は、「土に受け容れられる」という実感がわかない冬期北海道のカチコチ真っ白世界で、どうやってモチベーションを維持するか、ということです。

北国のみなさま、よいお知恵がありましたらぜひお貸しください。

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糞土研究会の紹介
http://nogusophia.com/fundo

マカオからのラブコール その後 会報25号(2019年)より

[糞土研会員より]

posted on 2019.12.17

過過糞(すぎかふん):前田 敏之(千葉)

前号(24号)で糞土師の伊沢さんが書いた「マカオからのラブコール」には、大学生のシェリーさんが、「うんこの美」をテーマに卒論プロジェクトに取り組んでおり、伊沢さんへのインタビューがあったことが書かれていました。今回はその後について。
シェリーさんは卒論プロジェクトを完遂し、うんこのキャラクターグッズなどからなる制作物セット(下の写真)を伊沢さんと私宛てにそれぞれ1セットずつ送ってくれました。
しかし、制作物の文章はすべて中国語で書かれており、伊沢さんも私も読解ができませんでしたが、どうやら送られてきた60ページほどからなる冊子の中に研究成果や伊沢さんのことが書かれているようでした。
そこで伊沢さんと相談し、せっかくなので一部だけでも翻訳をしてもらうことにしました。中国語の翻訳ができる私の友人「きさらづ野良制作室」の田崎建さんと一緒に主要な6つのページを抜粋し、その翻訳を依頼しました。謝金は糞土研の会計から支払わせていただきました。

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はたしてこの研究が糞土師や会員のみなさんにとって価値のあるものであったかはわかりませんが、集まった会費を使わせていただき、うんこの美についての研究結果を知ることができたことにまずは感謝し、以下に報告します。もっと詳しく知りたい方は、事務局までご連絡ください。


image003 <表紙>
うんこ美学の探究と研究
うんこは美しい
なぜ美しいのか

image005 <冒頭ページ>
現在「うんこ」は低俗で汚いものだと思われている。しかし「うんこ」は我々の生命にとって不可欠なものだ。「排便」という行為を通して、また「うんこ」そのものから、我々の気持ちや思想や体調を見てとることができるし、回収して利用すればまた優れた資源となる。こうした事実を踏まえて、本稿では「うんこは美しい」という新たな仮説を提起し、従来のイメージを覆そうと考えている。まず美学的な視点から、「汚い」、「気持ち悪い」といった心理的な抵抗感を取り除く。そして固定化した負のイメージを一新し、うんこの持つ多様性を再認識し、様々な魅力の詰まった「うんこ」を堪能してみたい。

image007 <冒頭ページ>
問題提起
我々の日常生活においては「食べる」「飲む」「うんこをする」「おしっこをする」「寝る」という五つの生理現象があるが、中でも「うんこ」は特に汚いイメージがある。しかし「うんこ」は我々一人一人の生活に大きな影響を与えている。「うんこ」は、我々の気持ちや思想や体調を伝える、いわば鏡のような、我々の生活に欠かせない存在と言えよう。我々は伝統的な「うんこ観」から距離を置き、「うんこ」から目を背けることなく、「うんこは美しい」という新たなアイデアを通じて「うんこ」の魅力に迫る。こうして「うんこの美学」を確立すると同時に、「うんこ」の持つ様々な側面にもスポットを当てていく。

調査方法
まず「うんこは美しい」という仮説を提起し、「うんこ」の「美しさ」について論ずる。個人の主観的な記述にとどまらぬよう、「うんこ」に関するアンケート調査を行ったり、外部の専門家に話を聞くなど、研究の客観性を担保するよう努めた。


image009 <25ページ>
「うんこ」のビジュアルに関しては、泥やソフトクリームとの類比が多いが、今回調査に協力してくれた伊澤正名氏の回答が興味深い。「うんこに美しさを感じますか?もし感じるなら、それはどんなところですか?」という問いに対し、彼は答えた。
「うんこの美しさは、“うんこそのものの美しさ”と“大自然の中での美しさ”の2種類に分けられます。そして、うんこそのものの美しさは、形と色の2種類に分けられます。」
例えば形は、コイルやバナナに似ていると彼は言う。言われてみれば確かに、それらは全てバランスがよく、リズムを感じさせる。
また彼は元々糞土師(ふんどし)を自称する野糞の専門家(実践家)であるため、うんこの大自然における美しさに関しては一家言ある。森の中で朝日を浴びながら湯気を立てるうんこ、その周りに群がるハエ、これこそが大自然の中で生態系をも含んだ最高の美しさだと彼は言う。

image011 <27ページ>
このように考察してくると、「うんこ」は美に関する3つの基本態度である「認識的態度」「功利的態度」「審美的態度」の全てを満たしていることが分かる。また主観という要因も非常に大きい。客観的な見方に比べ主観的な見方の方が、より「うんこ」の美しさを感知しやすいと言えよう。

image013 <32ページ>
以上の考察を経て、「うんこは美しい」という仮説は、美についての3つの基本態度という基準に照らし合わせても、成立することが分かった。そして「うんこ」は我々の身体に対してのみならず、心理や性格にも影響を及ぼしている。「うんこ」に付きまとう負のイメージは、「うんこ」の一側面のみを捉えたものでしかない。「うんこ」はその用途や価値を超えて、様々な「美しさ」によって我々の生活を豊かにしてくれる。「美しさ」の基準は人によって異なるが、「うんこ」は我々に豊かな恵みをもたらす。そしてそれは、疑いなく「美しい」。誰でもはじめは「うんこ」への嫌悪感や拒否反応があるかもしれない。それでも「うんこは美しい」という事実は動かない。
「凡事皆美有り」

会員企画「うんこ長者」

[糞土研会員より]

posted on 2015.06.29

糞土研究会にはハンドルネームならぬ、糞ドルネームというものがあります。

糞ドルネーム 過過糞(すぎかふん)と申します。ノグソフィアのWEB管理と会報の編集をしています。今回、代表の伊沢さんに承諾をもらい、本気半分・遊び半分の「うんこ長者」というものを企画しました。

私は糞土思想はとても平和な思想で、ヒトが幸せに生きていくために役立つものだと思っています。私は役割上、寄せられた感想を読ませていただく機会が多いのですが、WEBを担当してからの約3年間、批判の声は受けた記憶がなく、共感の声ばかりが届いています。伊沢さんや会を支える会員の皆様のごフン闘により、糞土思想が少しずつ広まっていっていることを感じています。

その一方、WEBや講演会によって、野糞をする意図や糞を土に返す大切さをはじめて知ったという声も、いまだに数多く届きます。野糞という言葉のイメージから、大事なことが先入観の壁に阻まれたり、スルーされてしまうこともあるのかもしれません。しかし、糞土思想に触れたことで生き方が少し変わり、うんこを土に返す実践をはじめた人も、きっと数多くいるはずで、私もその一人です。糞土師が体現したせっかくの良い思想ですから、もっと様々な切り口から先入観をかいくぐり、多くの人の心に届けていけないかと考えています。

そこで今回企画してみたのが、「うんこ長者」というものです。ある出来事をきっかけにして、これまでの固定観念がひっくり返ったという経験を、皆さんお持ちだと思います。私もつい先日、野糞をしていたところ、そんな体験をしました。これまで、「自分のうんこを人に見せるなんて、とても恥ずかしい」と思っていたのに、ある偶然から、「こんなかわいいうんこは人に見せたい」と思いました。ただ当然、見たくない人がほとんどだと思うので、いきなりSNSにうんこ画像を投稿するわけにはいきません。この一枚の写真をなにか楽しく活用することはできないかと思い、かわいいうんこ写真の交換で「わらしべ長者」ならぬ「うんこ長者」になるという企画をやってみることにしました。

遊び半分でご批判もあるかもしれませんが、これをきっかけにノグソフィアWEBにアクセスしてみようという人が少しでも増えたら、と願っています。オモシロがって、ノリでご協力いただける方がいましたら嬉しいです。

理解者や実践者が多いことを示したり、知り合いを通じて知ることで、ようやく興味を持つ人もいると思います。会員、実践者の皆様からも、講演会の開催のほか、様々な企画をお寄せいただけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

>> 「うんこ長者」詳細

恥じらいのバケツ野糞 会報19号(2014年)より

一糞法師:新保 あずさ (埼玉)

野糞はしたいが都市部に住んでいるとか、たとえ田舎でもどこで誰に桃尻を見られてしまうかもしれず、なかなか野糞に踏み出せない。夏場は特に、デリケートゾーンを虫に刺されやしないか気が気じゃない。などという方に(すべて自分のことです)お奨めの野糞法をご紹介します。

2014年2月、伊沢さんの講演を聞き感銘を受けた私は、さっそく実践に移したいという気持ちに駆られました。しかし、都会とは言えないけれど行き交う人の多い所謂ベッドタウンに住んでいるため、どうしたものかとお尻をむずむずさせていました。幸い徒歩5分くらいの所に小さな雑木林があり、お花摘みをするならここしかない、と目星をつけたものの、すぐ近くに小学校があり、人通りも少なくないこの場所での野糞は、嫁入り前の私には非常に敷居が高い。いや、嫁入り後でも相当高い・・・・
フンフン悩んでいると、それならば自宅で脱糞し、林へ持ちこみ、大地へお返ししてはどうか、という天からのお告げがありました。これだ! 臭いがもれないように密閉して運ばなければ! それも世の中に出たらすぐに! まずは密閉できるタッパーの入手だ!と鼻息を荒くしていると、師から連絡が。そこでこのいきさつを話したところ、「土や落ち葉を入れた器にウンコをして、土で覆っておいてはどうか。そうすれば土中の菌が分解を始めてくれるし、臭いも気にならないはず。」とのアドバイスを頂戴し、タッパー作戦は中止。バケツ野糞という方法に行き着いたというわけです。

①林へ行き、小さめのバケツに15cmくらいの深さまで土や落ち葉を入れてくる。
②バケツの土の中心あたりを少し掘り、そこに脱糞。
③周りの土や落ち葉をかぶせる。
④人目につきにくい早朝や夕方以降に林へ持って行き、大地にお返しする。
これが、「恥じらいのバケツ野糞」の方法です。

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ちなみに、脱糞後すぐに林へ行けるときはいいのですが、朝は出勤前で時間がなく、帰りが遅いと暗くて億劫、という日もあり、3日くらいそのままにしていたこともありました。その場合は3便ほどが一つのバケツに入っていることになりますが、きちんと土で覆われていれば全く問題ありません。ただ、不思議なことにバケツにウン子が居るままだと、なぜか腸内にまだ留まっているような、まるで便秘のような感覚があります。林にお返しできて、やっと、「出た!」と晴れ晴れスッキリするのです。大地にお返しできたという心持ちによるものでしょうか。

バケツ野糞をはじめたのは、春の気配がうっすら漂い始めた3月27日のこと。そして、お尻拭きも葉っぱで行うことにし、初日はちょうどそのころ林に繁茂していたフユイチゴを使いました。葉の裏に短い毛がたくさん生えていますが、それほどフワフワしているわけでもなく、お尻が敏感な私にとっては、葉っぱを使うとこんなものか…というのが正直な感想でした。しかしもっと尻心地のよいものもあるだろうと、翌日は、仕事場のハーブ園にたくさん生えているビロードモウズイカと、フキノトウを試してみました。
田舎では容易に見つかるフキノトウですが、市街地では貴重です。それに、食べることで大きな幸せを感じていたフキノトウを、お尻拭きに使うという贅沢さも相俟って、その心地よさは言葉に尽くせないほどでした。ビロードモウズイカも、フユイチゴに比べるとずっと尻触りがよく、これは自宅でも育てることに。
植物とのこれまでにない付き合い方に出会い、そしてトイレットペーパーより気持ちの良い葉っぱも色々ありそうです。毎日の脱糞が、排泄による本能的な快感を超えて、エンターテイメント的な色合いを帯びるようになりました。

そんなこんなで間接的な葉っぱ野糞を続けて2ヶ月ほどたった5月27日。山の斜面に借りている畑の手入れをしている最中に、排泄欲求が沸いてきたのです。それまで本当の野糞をしたことがなかったわけですが、実は畑に足を運ぶたびに待ち望んでいたチャンスでもありました。その日は幸い、周りに人は見当たりません。しかし、100mほど離れた所には民家があります。が、私の下した判断は「いける…!」。すぐさま畑の端に穴を掘り、ズボンをおろして脱糞。目の前にあるヨモギの葉を使って尻を拭き、ズボンを上げる。文字通り瞬く間に初の野糞を済ませました。かなりのスピードで儀式を執り行いつつも、鳥のさえずりや爽やかな風、草の青々とした匂い、一面に広がる空を身体いっぱいに堪能しながらの野糞の心地よさといったら…服も世間体も脱ぎ捨てて、そのままゴロゴロと山を転げ落ちたいくらいでした。
それから約1ヶ月後、このときのウン塚を掘り返してみることにしました。すると、掘れども掘れどもウン子らしいものが見当たらず、どうやら1ヶ月ですっかり土に還ったようでした。ここは私のフン塚…と思うと、茶色い土がとっても栄養豊富で肥えた土に見えてくるから不思議です。

その後も川のほとりなど、心地よい場所での野糞を数えるほどですが経験しました。今回の寄稿ではバケツ野糞を一つの方法として紹介しましたが、自然の中で行う儀式の圧倒的な気持ちよさには到底及ばない!と気がついてしまったことも、忘れずに付記したいと思います。

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