コロナ禍で迎えた糞土師の大きな曲がり角

[糞土師のひとりごと]

posted on 2020.07.24

 環境破壊や資源枯渇、マイクロプラスチックの海洋汚染に気候変動と様々な問題が次々に発覚しています。糞土思想では、これまでの人間中心の価値観を改め、自然に軸足を置いた新たな生き方に大転換することが、この危機を乗り越えるカギだと訴えてきました。そして今回のコロナ禍では、これまでの当たり前が通用しない、新たな世界が訪れることを多くの人が感じています。

 今年の糞土講演会は、3月に千葉県の個人宅で行った2回を最後に、すべて中止や延期になりました。特に残念だったのは、着々と準備が進んでいたにも拘らず流れてしまった、真宗大谷派・豊橋別院(5月)と名古屋別院(7月)での講演です。しかも名古屋では5日間に亘る尾張講習会の中で、お坊さんたちに向けて3時間も説法?するという、これまでにない展開を期待していました。もう一つは、6月に予定していた鳥取大学地域学科での講義で、学生相手に新たな可能性を見込んでいただけに、非常に悔いが残ります。
 ちなみに今現在、講演会の予定は完全に白紙です。そんな中、5月からweb上で「対談ふんだん」を始められたことは幸いでした。

 これまでの糞土講演の主要テーマは、人と自然が共生するしくみをウンコを通して解説することですが、「対談ふんだん」ではそれだけでなく「しあわせな死」も大きなテーマにしています。と言うのは、古来人々の望みは不老不死。つまり生きることにしあわせを求め、死は忌避するべきことでした。そして長生きと豊かな生活を科学技術や医療などの進歩で実現する一方で、自然生態系は危機的なまでに破壊されてしまいました。
 人と自然の共生を実現するには、生態系のバランスを崩して増え過ぎた人口こそ最大の問題です。人口減少には死についても真剣に考える必要がありますが、戦争や死刑、さらには優生思想などでの悲惨な死には反対です。だからこそ共生と循環の中で連綿と命が続くように、みんなが納得して受け入れられる「しあわせな死」を見つけ出すことが重要なのです。

 インターネットはおろかケータイすらも、私はずっと拒否してきました。便利さは、糞土思想の探求にはかえって害になると考えたからです。「善きことはカタツムリの速度で動く」というガンジーの言葉のように。と言うことは、web上の「対談ふんだん」も「ノグソフィア」もすべて、私自身が見られないというチグハグなことになっています。
 先日、「対談ふんだん」を見たある青年から、ノグソフィアHPに、オンラインで糞土師の講義を受けたいという問い合わせがありました。コロナ禍で講演会の目処も立たない状況下、これにはちょっと気持ちがぐらつきました。じつは10年以上前の数年間、私は手書き原稿の清書用に、ワープロがわりにパソコンを使ったり、メールだけはやっていた時期があります。糞土師になって丸14年、糞土思想はほぼ出来てきたし、今は広めることが一番の課題です。そろそろインターネットの利用も有りかな、と考え、久々にパソコンに触れてみてガクゼン! 完璧にパソコン操作を忘れていたのです。
 未熟なまま止めていたことに加え、長年の拒絶もあるでしょうが、それ以上に忘れやすい覚えられないというボケ症状がひどい昨今です。ウンコに関してだけは身体にしっかり染み着いているので割合スムーズに出てきますが、それ以外はまるっきり、というのが実状です。以前は「やらない」つもりだったのが、今は間違いなく「できない」になっていました。それでもこれからの糞土師活動を考えると、一念発起して取り組むしかありません。しかし、どこまで出来るかは非常に不安です。でも頑張って、オンラインで糞土講演会が出来るようになるつもりです。新生ふんどしに、これまで以上のご支援をお願いいたします。

2020.7.24 糞土師・伊沢正名

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