舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第3回

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

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<第3回> 糞土師 入院に負ける

御茶ノ水での小線源治療が決まった段階で、地理的にも隔離部屋という制約からも、牛乳パックでのウンコ持ち出しは早々に諦めた。かといって、ウンコが詰まった牛乳パックを何日間も病室に置いておくのは許されない。いくら信念でも、病院に迷惑をかけてまで押し通すわけにはいかない。
次善の策として、排便を我慢してトイレの使用回数を減らすという手もあったが、これではトイレに流す量は変わらないのが問題だし、健康管理という面からは愚の骨頂だ。たとえ軟弱と言われようが、郷に入らば郷に従え。この期に及んで悪あがきはやめることにした。

じつは21世紀に入ってから入院するまでに、私がトイレでしたウンコは3回のみ。平均すれば5年に1回のペースだが、それらのトイレ糞には次のような事情があった。
2013年7月16日。編集者と『うんこはごちそう』の大切な打ち合わせをする直前に、新宿駅で下痢をした。編集者との約束を優先したため、連続野糞記録は13年と45日で途切れたが、打ち合わせは大成功。絵本はその年の暮れに上梓された。
14年8月23日。沖縄での講演会「旅するウンコ」の最中に体調を崩し、講演を中断してトイレに入る。脂汗を垂らしながら排泄したその30分後には完全回復し、最後は絶好調で講演会の幕を閉じた。
15年4月19日未明。靴箱のカギをフロントに預ける形式のホテルに泊まり、夜中に胃がキリキリ痛んで目覚めたが、靴がなくて外へ出られない。しかたなくトイレに籠ること40~50分。その最中に同室の人に覗かれたりもしたが、すっかり出し切って体調回復。朝食は問題なく完食できた。
命を返せないトイレウンコは私にとって極めて残念なことだが、失敗の都度このようにして、大きな成果を上げたり、毒素を排除して健康になるウンコの重要性について実証を重ねているのだ。

ということで今回は、入院する13日は早朝発のため、庭で野糞をしてから家を出た。生まれて初めての入院という記念すべき日でもあり、とっておきの特級品:ノウタケで尻を拭いた。
入院中の14日から20日までは、その間に6回、貴重なウンコをトイレに流してしまった。つまり、今世紀のトイレウンコは9回となり、記録としては大幅に低下したのだが、舌を切らずに済んだことを思えば諦めもつくというものだ。
治療を終えて退院する7月21日は少しだけ我慢して、帰宅してから野糞をしようと考えていた。ところが放射線治療の後遺症かその日から一ヶ月ほど便秘ぎみになり、8月22日までの間にウン休日が十日にも上ったのは予想外の出来事だった。

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