舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第6回

[糞土師のひとりごと]

posted on 2016.02.29

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<<第5回

<第6回> 糞土師 サドでマゾになる

11月26日、東北道から磐越道経由で新潟港を目指した。ところが磐越道は雪でチェーン規制。写真家を辞めてからなるべく車を使わないようにしている私は、車を軽にしただけでなく、スタッドレスさえ拒否して夏タイヤのままだ。途中でUターンして関越道へ、とんだ遠回りを余儀なくされた。
この日は早朝発に加えて雨も降っていたため、野糞は佐渡へ渡ってからと決めていた。薄暗くなった田んぼの縁の林で済ませて畦道へ出ると、こちらに向かって車のヘッドライトが煌々と輝いている。人が出て来て「ここは立ち入り禁止です!」。監視員の叱責に、そこがトキの餌場だったことをはじめて知った。野糞のことは伏せたまま素直に謝ると、むしろ親切にトキのことを色々と話してくれた。これを「クソから出たまこと」と言うのだろうか?
夜9時に終わる予定だった講演会は熱を帯び、解散したのは11時過ぎ。素泊まりで夜は管理人もいない宿舎に戻ると、玄関は施錠されていて入れない。この寒空にどうしよう、と思案していると、数年間の佐渡暮らしで勝手知ったる糞弟子1号(今回の講演旅行を企画し、同行していた海野政人さん)が、勝手口から侵入して玄関を開けてなんとか事なきを得たが、サドの初日は幾多のトラブルに泣かされた。
翌日の講演会は、立派な古民家を移築した大きな囲炉裏のある会場だった。一通り講演が済むとそのまま、質疑や参加者全員の自己紹介などを兼ねた宴へと突き進み、酒も入って議論白熱。気が付けば夜中の1時になっていた。
3日目は移動日だが、まずは上トグロの野糞を済ませ、昨夜の残りのキノコ鍋を平らげて両津港へ向かう。港に着く少し前から、どうも胃のあたりがムカムカシクシク痛みはじめた。サドの締めはキノコ中毒? さいわい出港まで少し時間がある。下痢はしなかったが、港近くの狭くて細長い防風林で傘を広げて目隠しにして、直腸をスッカラカンにしてからフェリーに乗り込んだ。夕方近く宿に着き、明日の主催者と打ち合わせやフィールドワークの下見を簡単に済ませ、この日は早々に床についた。

29日は角田山妙光寺というお寺を会場に、午前中にまずフィールドワーク、午後スライド講演といういつもとは逆の構成だった。「理解してから実践」ではなく、「まずは実践(の下準備)から」。初の試みだったが、野糞の意義や、お尻を拭く葉っぱの基本と見分け方を手短に話して、「マイ葉っぱ」探しとその自己評価を参加者全員に振った。こちらから一方的に教えるのではなく、参加者自身が探し、考え、発表することで、私が楽になった以上に思わぬ発見があったり、和気あいあいとした講座にもなった。
午後のスライド講演は、最初から最後まで最前列で、住職さんにもしっかり聴いてもらえた。講演会は糞土思想の布教活動のようなものだし、いずれはお坊さんとのコラボも考えている私にとって、これは非常にうれしいことだった。おまけに熱心な参加者とその場で、来夏の「うんこキャンプ(8月5~6日、新潟県湯沢町)」が決まるなど、収穫は多大だった。しかしこの講演旅行で、口内炎はまたもや悪化の憂き目をみることになってしまった。

帰宅してゆっくりする間もなく、鳥取から糞弟子3号の柴田英昭さん(本誌20号「伊沢さんに展覧会…」参照)がやって来た。12月20日の大阪と、1月下旬の鳥取での講演会を手土産に。口内炎はますます長引くかもしれないが、こんなうれしいお土産は断れない。いつまでも一進一退を繰り返す糞土師に、はたして完全復活は訪れるのだろうか?

>第7回 糞土師 がんで活かされる

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