2015年 糞土師のごあいさつ

[糞土師のひとりごと]

posted on 2015.04.13

 旧正月(2/19)さえとうに過ぎ、世間の常識からとことんズレている糞土師の、新年のごあいさつを申しあげます。

 昨年の糞土講演会の幕開けは2月1日。大阪での『松下幸之助花の万博記念賞』の受賞講演(これは大変だったけれど面白かった)に始まる、関西と東京・三軒茶屋での5連続講演でした。その4泊5日の旅に出た直後の1月31日午後、母が心筋梗塞の発作で緊急入院。ケータイを持たない私にはその連絡が入らず、幸か不幸か何も知らずに、授賞式~講演会~FMラジオの収録を予定通りに済ませ、2月4日の夜帰宅。留守電で事態を知った直後からとにかく慌ただしい毎日で、昨年のごあいさつも3月にもつれ込みました。

 母は3年前に転倒、骨折して3ヶ月入院し、とうとう寝たきりになり、退院と同時に特別養護老人ホーム:県西せいかん荘に入所していました。せいかん荘の袖山先生や職員の方々には以前からデイサービスや訪問入浴などでお世話になり、気心の知れた最も信頼できる存在でした。そして母は、延命治療は望まず、長生きよりも、ホッとできるせいかん荘で静かに最期を迎えることを願っていました。とは言え、手術はうまくいったものの、次の発作が来たら危ない、という不安を抱えながらの一年でした。
 そんな中、せいかん荘で昨秋、職員講習会として糞土講演が実現しました。母も車いすで特別参加。みんなの前でウンコ写真まで親に見られるのは、なんとも気恥ずかしい限りです。しかし、子供の頃は反発ばかり、高校中退では将来への不安で大変な心配をかけ、その後写真家として認められるようになって安心したと思ったら、今度はウンコで闘う糞土師になってしまい、一体全体どうなることやら・・・この際、糞土師としての実態を知って安心してもらうのも親孝行かと思い直し、心の重荷を一つ下ろせた気分でした。
 母は時々体調を崩しながらもそれを乗り越え、穏やかに新年を迎えたのも束の間、9日に急変。オシッコが止まり、声も出なくなってしまいました。それでも意識はしっかりしていて、こちらの問い掛けには頷きで疎通をはかり、痛みも苦しみもほとんどなかったのが幸いでした。袖山先生からは「今日か明日」と言われながらも5日間持ち堪え、最後は安らかに眠ったままで、14日に92歳の生涯を静かに閉じました。
 私が追究している糞土思想では、死んだら土に還ることを理想とし、形式的で盛大な葬儀ももったいないと考えています。しかし、社会の慣習の中でずっと生きてきた母に、それを押し付けようとは思いません。この世に生を授けてくれた母への最後の孝行でもあります。18日に通夜、19日には母の希望通りの告別式を営み、火葬して墓に納骨。三十五日の法要も2月11日に済ませました。ただ、母自身も生前から、なるべく簡素にすることを望み、組内と近い親戚に限定し、さらに体の不自由な方の負担にならぬよう、通知する相手は極力絞り込んでいました。
 そして、これは母の遺言ではないのですが、これまでの慣習を続けるのは困難な現実も踏まえ、組内の方々にも諮って、お見舞いや香典は辞退することにしました。しかしその決定前に頂いてしまったり、どうしても断り切れなかった分はどうしたら良いか、いろいろ考えました。
 前々から母は、戦争で傷ついた人などを救う「国境なき医師団」に寄付をしていました。この母の志に倣おうとも考えたのですが、戦争になってから怪我人を助けるより、そもそも戦争を起こさないこと、平和を実現することこそ大切です。各地の紛争は収まるどころかますますキナ臭さを増し、その先頭に立つのが米軍でしょう。日本もその尻馬に乗り、集団的自衛権や秘密保護法、武器輸出緩和などに突っ走る最近の状況は、まさに戦前です。沖縄の辺野古では今、平和を願う人々の声を無視する安倍極右政権のごり押しで、貴重な自然を破壊し、戦争のための米軍新基地が造られようとしています。基地建設反対に立ち上がっている沖縄県と名護市、そして現地で座り込みを続けている人々(沖縄平和運動センター・ヘリ基地反対協議会)への支援として、葬儀と法要で頂いた全額(62万円)を寄付させていただきました。

 実はこの葬儀までの間に困った事もありました。
 母が亡くなった2日後の16日夜、千葉県柏市での講演会が決まっていたのです。世間一般ではキャンセルやむなし、と考えるのでしょうが、私にとっては命と引き換えにしてでも大事にしたい講演会です。その前後の予定は取りやめたものの、夜中に車を飛ばすなどの強行軍で講演してきました。そして18日が友引だったため、告別式はさらに遅れて19日に。この事で長女が腹を立て、親の私が子供の方から勘当されかねない事態に陥りました。
 人それぞれに大切にしている物事は違うし、見方も感じ方も千差万別。どのような結論を出すかはその人の自由であり、権利でもあると私は考えています。たとえば、庭の落ち葉や枯れ草を汚いゴミと見るか、それとも朽ちて大地を肥やす命の素と捉えるか。前者ならきれいに掃除するのが当たり前。しかし後者である私は、生活に支障がない程度にしか片付けず、腐るにまかせて放ってあります。これで次女の烈しい怒りを買いました。
 親子であっても別人格。強制せず、縛られもせず、それぞれに信じる道を歩むしかありません。親が亡くなり、子は遠ざかり、これまでとは違った新たな局面を迎えつつあります。

 葬儀直後の1月24日から2月22日、トーキョーワンダーサイト本郷での『すもうアローン』展で、写真展示と4回の講演会を行いました。以前にも新宿ペンタックスギャラリーや鳥取県博などで、キノコの陰に隠れてウンコ分解の写真を小さく展示したことはあります。しかし今回は堂々と、ウンコ関連の写真ばかり25点をB4~BOサイズに大伸ばしして、11mの壁面を埋めました。しかも、ここまでは受け入れられないだろうと自主規制していた「正座するウンコ」(トグロウンコのアート的変形バージョン)や「完璧下痢便」(自然に命を返す貢ぎ物として、最も栄養化の高い特級品)まで衆目に晒しました。これは世間の良識への挑戦、という企てでもあったのですが、目立った批判もなく不発に終わり、まさに「ひとり相撲」でした。
 一昨年秋に青森で、縄文遺跡を舞台にバスツアー講演会を行ったのが縁となり、この春リニューアルオープンする小牧野遺跡資料館から、展示品制作への協力依頼がありました。それはウンコの分解過程などの展示で、①出たてのウンコにハエがたかり、ウジを産みつける。②腸内細菌や土中のカビによる分解途中のウンコに、フン虫やアリが潜り込んで食べている。③分解が済んだウンコはミミズが食べて団粒土になり、木の根が伸びてきて養分を吸収する。 というリアルなレプリカです。
 糞土師になって今年で10年目ですが、これまでずっと闇に葬られてきたウンコも、徐々に陽の目を見るようになってきました。昨年、一昨年の慶応大学での講座も予想外の好評で、今年もすでに3回目の授業が決まりました。「石の上にも三年」ならぬ、「クソの上にも10年」です。
 
 昨年は北海道から沖縄まで、辻説法も含めて50回ほど講演を行いました。暑さでバテ気味だった8月の沖縄講演では、その最中に急に体調を壊し、講演を中断して今世紀2度目のトイレ糞! トイレの中で苦悶しながら、翌日の講演会は中止かと絶望的な思いに沈んでいたのに、会場に戻って続きを話している間に急速に回復し、講演が終わる頃にはまるで空気になったかの様に身体が軽やかになっていました。これが絶好調という感覚か! 自然に命を返すための大切なもの、というだけでなく、体内の毒素を捨てて健康を保つためにも、ウンコ(排泄)の重要性を改めて実感した出来事でした。
 また、毎週2回ずつの講演会が続いた秋には、五十肩と酷い口内炎(これらは今も続いています)に加えて、風邪とジンマシンと視野の震えに襲われ、一人で講演活動を続けることの限界も痛感しました。
 しかし自分の生きる責任に向き合い、自然と人間の本物の共生を目指す糞土思想は、今後の人間社会に最も必要なものだと確信しています。この思想をもっと強力に広めることが私の強い願いであり喜びでもあります。そのためにはまた、理論(男性的)だけではなく、感覚的にもみんなが納得して受け入れられるように、母性を兼ね備えた糞土思想に深める必要性も強く感じています。
 ある意味身軽になった事を活かして、私の持っている全てを、糞土思想を広めるために使い切りたいと考えています。具体的には弟子を採り、一人でも多くの糞土師を、特に女糞土師を養成することです。糞土師ホームページには 糞弟子募集要項 が出ています。自薦他薦を問わず、ご連絡下さい。
 今後ともよろしくお願いいたします。

2015年春 糞土師:伊沢正名

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