下肥は小乗、野糞は大乗

正月にちなみ、ありがたい糞話をひとつ・・・
これまで糞土講演会などで、時々こんな質問や反論をいただきました。「栄養価の高いウンコは下肥として有効利用するのが最善で、それを野山に捨ててしまうような野糞は無駄ではないか」と。

ウンコを活かす下肥は、私も大賛成です。しかし聞くところによると、今では田舎町でも水洗トイレが普及して、下肥の本になる混じりけのないウンコが不足してきたというのです。さらには、新築家屋には汲み取り便所は認めない、つまり水洗でないと建築許可が下りないのです。とうとうウンコを活かすことを法律や条例で禁ずるまでになってしまいました。いったいどんな人が、こんなことを決めたのでしょう? ボットン便所を、そして下肥復活を、声を大にして叫びたい心境です。

さて、仏教には自己の解脱(束縛や苦しみから抜け出し、悟りを開くこと)だけを求める小乗仏教と、人々を悟りに導き救済する、利他中心の大乗仏教があります。そこから、大乗には私情や目先のことにとらわれない、大局的という意味があります。

私は糞土師として、食べ物は自然からいただいた物なのだから、栄養を取って不要になったウンコは自然に返そう、と考えています。ウンコになっても人間社会の中だけで活用しようという下肥思想は、ある意味小乗ではないでしょうか。有機農業などを真剣に考える方々でさえも、人間中心の考えから抜け出せず、自分を生かしてくれる自然への感謝が足りないのではないかと思ってしまいます。

座禅や瞑想、荒業などではなく、百数十の野糞跡を掘り返し、見て触れて、嗅いで味わって(最短は、脱糞後19日目)、私はこの境地に辿り着きました。ウンコの本当のすばらしさを、そして自然と共生する人間の生き方を悟らせてくれたのは、他ならぬ野糞だったのです。