自然は、動植物や菌類などの生き物と、それらが生活する大地や海などから成り立っている。そして人は、生物界の一員として食物や資源など、様々な恵みを自然から得て生活している。それならば一方的に恩恵を受けるだけでなく、何か自然にお返しをするのが当然のルールではないか。しかしお金や高価な宝飾品、工業製品などは、自然にとっては何の役にも立たない迷惑なゴミでしかない。人が作り出すもので自然が喜ぶものといえば、それはたった一つ、ウンコしかない。

ヒトも含めたすべての生き物は、食物連鎖という物質循環の中で生きている。まずは土や水の中から無機養分を得て植物が育ち、それを草食動物が食べ、さらにそれを肉食動物が食べ・・・その最上位にヒトがいる。このように生き物を順々に食べていく上りの食物連鎖(生食連鎖)では、食われたものはウンコになり、食われ損なったものは死骸となって、大量のウンコと死骸の山を残すことになる。ところが実際にはそうならないのは、ウンコや死骸から始まる下りの食物連鎖(腐食連鎖)があるお蔭なのだ。

[イラスト:小池桂一]
腐食連鎖では、ウンコや死骸、そして枯れ木や落ち葉を食べる動物がその一部を担うが、最終的には菌類(カビやキノコ)とバクテリアがそれらをすべて食べ(腐らせ=分解し)つくし、無機養分に戻して土や水に還す。そこからまた、植物によって上りの連鎖が始まり、永遠の命の循環が成立する。このように、ウンコは残りカスではなく、下りの食物連鎖の出発点に立つ、大切な命の源なのだ。

ところで、命ある生き物を食べる上りの食物連鎖は、考えようによっては残酷な連鎖だ。しかしその頂点にいる私たち人間は、それ無くしては生きられない。宿命として、そして生きる権利として、命を喰らうことは認めよう。だからこそ、その一方でウンコを自然に返すことは、人が生きていく上での最も根本的な義務であり、責任ではないのか。

ウンコを水洗トイレに流し、処理場送りにすることは、命の基本にある食物連鎖を断ち切り、生き物としての人の責任を放棄することでもある。だからこそ、野糞こそは人間がなし得るもっとも崇高な行為ではないか、と糞土師は深く深く考えるのだ。