ノグソフィア糞ログ

東京での講演会

[お知らせ]

posted on 2012.02.08

【講演タイトル】『ウンコは生態系を巡るご馳走』

【日時】平成24年2月25日(土)16:00〜18:00

【場所】NJS別館会議室(本会事務所となり)
    〒162−0067
    新宿区富久町6−5 NJS富久ビル別館3F

03−5363−1129

詳しくはこちらをご覧下さい。

諏訪市図書館にウンコがあふれた!

[糞土師のひとりごと]

posted on 2012.02.08

今年最初のウンコ講演会は、1月28日、長野県諏訪市図書館で開かれました。
定員70名、申込は40名ほどと聞き、「そこそこの入りだな」と思いながらスライド映写の準備をしていると、小中学生から年配の方々まで、まさに老若男女が席を埋めてゆき・・・地元だけでなく県内外から、定員を上回る76名が参加してくれました。
私も熱くなり、ウンコと野糞の基本の話だけでなく、良識や軽犯罪などまで、時間をオーバーして話を深められました。

アンケートも実施したのですが、40名から回収。その中で、大好き、好き、どちらともいえない、嫌い、大嫌い、と5段階に分けて講演を聴く前と後それぞれの思いを記入してもらいました(38名が回答)。すると、事前の「嫌い」は6名。「好き」と「大好き」を合わせると10名でした。さすがに「大嫌い」は無し。
それが話を聞いた後では、すでに「大好き」だった3名を除いて、1ランクアップが14名。2ランクアップ(嫌い→好き。どちらともいえない→大好き)は8名でした。(評価が下がった人はいません)
ウンコや野糞の意義を頭の中で理解するだけでなく、多くの方が愛着を持ってくれたことが、何よりも嬉しかった。偏見を破っていくには、好きになるのが一番です。

この講演会を企画、運営していただいた図書館の茅野さんからは、「・・・アンケートの回収率も、書き込み具合も熱いものが感じられ、私が今まで関わった中でもぴかいちだったように思います。・・・」という手紙をいただきました。
この2月は九州、札幌、東京で8回公演会がありますが、幸先のいいスタートに、更なる闘志を燃やしています。

3月以降も少しずつ予定が決まってきてますが、まだまだ空きはたっぷりです。関心のある方は、参加人数や講演謝礼など気にせずに(お布施、投げ銭で充分です)気軽に声をかけてください。ウンコ話をたっぷりひっさげて、可能な限り出掛けます。
ご連絡は、手紙かFAXでお願いします。

〒309−1347
茨城県桜川市富谷1014
糞土師・伊沢正名

0296−75−2384

ウンコは第三極

[便論糞ぷん]

posted on 2012.01.25

世界の人口は昨年ついに70億を越え、近い将来100億に達するという。食糧は、資源は、ゴミは、環境は、そして人類も含めた全ての生き物の未来は、いったいどうなるのだろう?
縄文人やアイヌなどの先住民のような生活をするならまだしも、ますます多くの資源や食糧を消費する現代人にとって、人口問題は震災や原発事故以上の危機をもたらすに違いない。

人間の生き方は、科学の発展で豊かさを実現したり危機を乗り切ろうとする科学技術派と、自然の摂理に即して生活しようとする自然派の二つに大きく分けられる。
しかし世界の隅々まで便利なものがばら撒かれてしまった現在、本物の自然派は急速に減少し、今や絶滅寸前の風前のともしびだ。その一方で、文明社会の中にあっても、その危うさやいかがわしさに気付き、パーマカルチャーなど、自然に目を向ける動きが増してきたことに救いを感じる。

本来は人も自然の一部。理屈抜きで生活全体が生態系の循環の中に収まっていた。だが、文明を知ってしまった現代の自然派の大部分は違う。少なくともウンコも死体も、己自身を循環の中に置いてはいない。自然の価値は認めていても、そこから自分に都合の良いものだけを得ようとしているのではないか。いわば、つまみ食い自然派だ。自分のための自然利用を越えて、自然との真の共生に参加するのが本物の自然派だと考える。

糞土師活動の趣旨は『食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方』。食は他の多くの生き物から命を奪うが、それは人の宿命であり、生きる権利だ。そして権利を行使するなら、責任が詰まったウンコを生態系に組み込み、奪った命を返すことが共生を実現する方法だ。
科学技術派と現代の自然派に対して、糞土師は第三極として、ウンコ(野糞)派を提唱したい。

第三極とは言っても、対立や攻撃が目的ではない。生態系の循環を実現するという、他の二者に欠落している真の共生を、その象徴である野糞で明確化したいと考えている。
もちろん科学にも自然指向にも優れたものは沢山あるし、糞土師自身もその恩恵を受けながら生きている。この社会が、いまさら原始社会に戻れるはずもない。三者それぞれの優れた面を集約し、権利と責任のバランスがとれた人間社会に変えていきたいのだ。

ウンコはごちそう

[便論糞ぷん]

posted on 2012.01.25

①生きる基本は食べて出すこと
 光合成を行い、無機物から有機物を作り出す植物。その有機物を食べて生きる動物。そして枯れ葉や落ち葉・死骸や糞などの、死んだ有機物を分解して無機物に戻す菌類。このようにして植物・動物・菌類は、生態系の循環の中でそれぞれ生産者・消費者・分解者としての役割を担っている。
 動物だけでなく植物も菌類も、生き物であれば生きるための栄養を得なければならない。体を作り、活動するエネルギーを得、子孫を残すためにも、食べ物はなくてはならない命の源だ。そして不要になった残りカスは、ウンコとして排泄しなければ生きていけない。食べて出すのは、すべての生き物の生きる基本だ。
 自分の体内に消化器官を持っている動物は、食とウンコの関係がわかりやすい。では、植物や菌類にとっての食べ物とウンコとは、いったい何なのだろう。栄養を得るためのものを『食べ物』、不要になって捨てるものを『ウンコ』と定義して考えてみよう。

②植物や菌類の食べ物とウンコとは?
 光合成は、無機物である二酸化炭素(CO2)と水と光エネルギーを使い、有機物であるぶどう糖と水と酸素に変える化学反応だが、実はこれが植物の食事の仕方だ。このぶどう糖を元にして、さらに多くの無機物を使って化学反応を繰り返し、炭水化物や脂肪、タンパク質などの複雑な構造の有機物が作られてゆく。また、酸素は植物自身の呼吸にもある程度は使われるが、使い切れない大量の酸素は大気中に捨てられる。つまり植物にとっては、CO2などの無機物が食べ物であり、余分だから捨てられる酸素がウンコなのだ。
 菌類のキノコやカビは、細胞が細長い糸状につながった菌糸でできており、酵母やバクテリアは単細胞だ。当然消化器官もなければ、口も肛門もない。菌類は細胞から消化酵素を分泌し、食べ物である落ち葉や糞などの有機物を体の外側で消化(分解)し、そこから自分に必要な栄養分だけを吸収する。要らないから大気中に捨てられるCO2や、土の中に取り残される無機物などが菌類のウンコだ。

③循環する食べ物とウンコ
 次に、植物・動物・菌類の食とウンコの関係を、生態系の循環の中で見てみよう。
・菌類は動植物の死骸やウンコを食べ、無機物というウンコをする。
・植物は菌類のウンコを食べて有機物を作り、酸素というウンコをする。
・動物は植物の体を食べ、さらに植物のウンコである酸素を食べなければ命を保てない。そして、菌類の食べ物である正真正銘のウンコをする。

gotison

 つまりウンコは自分にとっては不要なカスでも、他の生き物にとっては無くてはならない大切なもので、AのウンコはBのごちそうになり、BのウンコはCのごちそうになる。そしてCのウンコがAのごちそうになって戻って来る。これが生態系の循環という、一切無駄のない理想的なシステムなのだ。

ウンコになって考える ⑤不便は不幸か?

[便論糞ぷん]

posted on 2012.01.09

最新のニュースでは、「原発の寿命は40年」、「首都高速道は老朽化で危険」。
数百年もそれ以上もの長い歴史を経て現存する手造りの建造物に比べ、近現代の工業技術で造られた物の寿命はなぜか短い。しかも危険で、手に余る困った巨大ゴミに成り下がる。これが科学の勝利なのか?豊かさの代償なのか??

前回の「ウンコが出した答え」は、現在使い過ぎてる電力消費を、とりあえず半分に減らすこと。これだけで危険な原発も、よけいな代替エネルギーの開発も必要ないはずだ。
「キツネとタヌキの化かし合い」と言ったが、欲望のままに突っ走るのが原発推進派ならば、欲望をうまくごまかそうとするのが自然エネルギー派だ、とウンコは考える。
とにかく発電自体が環境を破壊し、その設備等が近い未来、とんでもないゴミ問題を引き起こすのは確実なのだから。

「人間は一度手に入れた豊かさや快適さは手放せない」と、信頼していた多くの良識ある人々からも何度聞かされたことか。そして、私の求める自然に即した生き方は、「理想論だ。現実離れした夢物語だ」と否定される。
やってもみないで理想をバカにし、そんな自分を「現実をしっかり踏まえた大人」だと正当化する。ウンコから見たら、それは卑劣で愚かなだけだ。『ウンコは良識の踏絵』に至ったのは2〜3年前のことだが、「良識派」に失望したのは、それよりはるか前のことだった。

長い間馴れ親しんできた便利なものを捨てるのは、私だって不安を感じる。しかし実際にやってみれば、意外に簡単だったり、どれほどの楽しさをもたらすか、間もなく実感できるようになる。実例を一つだけ紹介しよう。
全国を飛び回る写真取材には必要悪と、長年使ってきた車を数年前に手放した。写真家をやめて糞土師になったのが最大のきっかけだが、公共交通は1本の鉄道しかない田舎町では、大きな決断のが必要だった。そこで中古のカブを手に入れ、どうしても必要な時にはカミさんの軽を借りて乗っている。完全に車を断った訳ではないが、今一番の移動手段は自転車で、以前は月平均200ℓもあったガソリン消費量が、今では数ℓに激減した。
身体を外気にさらして走るのは、冬は寒いし夏なら暑い、雨が降れば濡れもする。でもその心地よさは、エアコンかけっぱなしの車内に閉じ籠っている者には理解できないだろう。そして、ひどかった腰痛は改善し、以前よりもずっと体調が良くなった。なによりも、車の維持費もガソリン代もグンと安くなり、写真家時代の数分の一に減った収入でも、不自由なく気楽に生活できている。今思えば、取材費を稼ぐためにも、きつい取材が必要だった。のんびり野山を歩き回って野糞をするのが仕事になるとは、なんて幸せな糞土師なのだろう。

2月の講演会

[お知らせ]

posted on 2012.01.07

【講演タイトル】ウンコはごちそう

【日時】2月11日(土) 14時〜

【場所】熊本県高森町 阿蘇フォークスクール

【費用】500円

【問い合わせ】NPO法人阿蘇フォークスクール 0967−62−0027
       aso-folkschool@cotton.ocn.ne.jp

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【講演タイトル】命をつなぐ菌類

【日時】2月12日(日) 10時〜

【場所】鹿児島県伊佐市 十曽公園

【費用】無料

【問い合わせ】トータルサポートネットワーク 前畑 090−3013−5710

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【講演タイトル】うんこはごちそう

【日時】2月12日(日) 18:30〜

【場所】熊本市手取本町8−9 くまもと県民交流館パレア

【費用】1000円

【問い合わせ】上記のNPO法人阿蘇フォークスクールまでお願いします

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【講演タイトル】『生態系の中で生きていくために』 〜キノコ&野糞に学ぶ〜

【日時】18:30〜20:30

【場所】札幌市北区北8条西3丁目 札幌Lプラザ2F 環境研修室

【費用】無料

【問い合わせ】北海道自然保護協会
       011ー251−5465   
        info@nc-hokkaido.or.jp

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【講演タイトル】生態系の命をつなぐ菌類

【日時】2月26日(日) 13:00〜14:30

【場所】自然観察大学(東京都台東区台東1−26−6 植調会館3階会議室)

【費用】1000円(学生500円)

【問い合わせ】自然観察大学
       03−3833−1822(全農教内、担当:大野)
       jimu@sizenkansatu.jp(件名を“自然観察大学”として下さい)

   
   こちらの講演は14:30〜16:00『アブラムシ観察入門』講師:松本嘉幸と併演です。

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2月19日(日)は札幌周辺で計画中です。
詳細は決まり次第お知らせします。

良いお年を!

[糞土師のひとりごと]

posted on 2011.12.31

この年末はギリギリまでの全力疾走(迷走)でした。
11月発行予定の『ノグソフィア』13号の制作が遅れに遅れ、押し詰まった27日にようやく完成、夜中に発送。作業を手伝ってくれた地元糞土研会員の皆さん、お疲れさまでした。

人類生き残りへの提言『発明禁止令の大復活』(糞便DNA鑑定士)を巻頭に、原発事故に関連して『土に還せるウンコと還せないウンコ』(糞土還)と『フンド坊のひと言メッセージ』(小池桂一さんの素晴らしいイラスト付き)。縄文人〜アイヌ民族〜マタギのウンコの作法と、糞土研推奨の「正しい野糞の仕方」の共通性を論じた『縄文人は山で野糞をしたか?』(糞坊主)。子どもの緊急事態を「正しい野糞」で乗り切った『野糞の温かな思い出』(フンデルト土蛙)。研究論文調の『震災に見る次世代トイレ再考の必要性』(フンテリアコーディネーター)。写真付きで楽しく読ませる『おさるのウンコ事情』(路傍亭猿糞)。そして『2011年、糞土師の軌跡』など、今号も充実した内容になりました。
おまけに、8ページの論文『ウンコは生態系を巡るご馳走』(糞土師)を付録に付けるという大盤振る舞いです。
今回に限り、会員外でも希望があれば、ノグソフィア13号を付録つきで配布します。
郵便振替口座『00160−9−433086 糞土研究会』へ、「ノグソフィア13号希望」と明記の上、1000円をお送り下さい。

来年2月には、九州、北海道、東京で7つの講演会(うち2つは会員制で、公開せず)が決まり、その調整や準備でもだいぶ時間が取られました。そのうちの一つ、自然観察大学ではスライド映写不可。フィルム写真にこだわり続けている私は、「自分で映写機を担いで行くから」とねばったのですが、会場の都合でダメでした。しかたなく90枚近いスライドをデータ化したのですが、そのお陰で、今度はパワーポイントでの講演も可能になりました。
これまでのスライドプロジェクターを担いでの講演旅行は特に腰痛の時など苦労の連続で、時には中止に追い込まれることもありました。これからは臨機応変に、パワーポイントも併用して講演に出掛けられます。私の持ち味は、転んでもただでは起きないこと。むしろ、転んでこそ良い拾い物があるんですね。デジタルに頼るのはちょっと口惜しいけど、プラス面はすなおに受け入れます。

そんなこんなの大忙しで、弁論糞ぷん「ウンコになって考える」は、12/8の④までで中断していましたが、正月明けには再開します。お許しを。

では、皆さま、良いお年を!

2012年1月長野での講演会

[お知らせ]

posted on 2011.12.26

『くう・ねる・のぐそ』講演会

【日時】 1月28日(土)15〜17時

【場所】 長野県諏訪市図書館

【費用】 無料

【問い合わせ】長野県諏訪市図書館 
       TEL 0266−52−0429
       library@city.suwa.nagano.jp
       担当:茅野

是非ご参加下さい。

ウンコになって考える ④原発と自然エネルギー

[便論糞ぷん]

posted on 2011.12.08

本来の自然にも危険な放射能はあるが、原発の危険性は桁はずれにひどい。そしてなによりも、原発は人間の欲が造り出したものだ。ウンコは当然、原発を認めない。
福島原発事故で放射能の過酷な危険が現実のものとなって、人々に降りかかってきた。しかしすでに、私も含めた茨城県人は東海村JCO事故の経験があるし、それ以前にも日本人全体が、広島・長崎原爆の悲惨さを知っていたはずだ。
それなのに、次から次と原発が造られてきたのは、なぜなのか?

原爆や原発を造って権力や金を得ようとする者だけでなく、もっと豊かな暮らしを求める多くの人々の欲が、原発を造らせてしまったのではないか。しかもそのことを、安全や発展などというまやかしの言葉で言いくるめ、取り繕い、危うさを指摘する良識の声を踏みにじってきた。戦時中の軍と多くの国民が、こぞって平和主義を弾圧したように。

そして今、地球温暖化で脚光を浴びた太陽光や風力発電など、自然エネルギー開発が脱原発の声に乗って勢いを増している。
この現代社会では、豊かさや利便性、快適さなどを最も手軽に実現する手段として電力が使われている。電気無しではどうにもならない物だらけになってきた。
しかし、このままで本当によいのだろうか?
原発事故直後の電力供給が不安になった時には、あれほど皆で節電に努めたのに、喉元過ぎればなんとやら。今はもう、環境に良い電気自動車だ、LEDのイルミネーションだと、むしろ電力消費をあおり立てている。それらがどう環境にやさしいのだ?インチキにもほどがある。
太陽光パネルや巨大風車を作ったり設置したりするのに、どれだけの資源とエネルギーを使っているか考えているのか?原発も火力もダムも、そして太陽光も風力も潮力も、すべて環境を破壊して電力を得ているのだ。さらに、電気を食う電気自動車でもLED電球でも電線でも、それを作るだけで同様の破壊をしているのだ。

夜遅くまで眠らなくなった人間にはイルミネーションの光が心地良いかもしれない。しかしそれ以外の生き物には、闇も光と同じく欠かせない、極めて重要な生きる術だ。それを乱しておいて、自分だけ気分が良くなって、なにがいやしだ、なにが環境にやさしいのだ。

上辺だけ アホな癒しは いやらしい 復興支援の パンダもそうだ

根本まで見詰め、責任を基本にしたウンコになって考えれば、原発推進派も自然エネルギー派もキツネとタヌキの化かし合いにしか見えない。それとも、同じ穴のムジナか?
では、ウンコが出した答えは・・・また後で。

ウンコになって考える ③ウンコと死を見詰め、生を見極める

[便論糞ぷん]

posted on 2011.12.04

菌類による分解から、死んで腐って土に還ることの意義を知ったのは、まだ20代の時だった。そしてそれは、人生最大の難問、死の恐怖を遠ざけることにもつながった。
写真家として私の最大の仕事になった『日本の野生植物・コケ』では、きつい写真取材で心身共に消耗し、全ての作業を終えた2000年暮れ、ついに私は燃えつきた。しかし完全にカラッポになった心の中は、困難な本作りを成し遂げた喜びと満足感にしだいに満たされ、やがて「もう何時死んでも悔いはない」という想いに包まれた。
その想いは、まだ沢山あった本作りなどの欲をどこかへ追いやり、残りの人生を最も大切なことにだけ費やしたいとの想いに変わっていた。これこそ糞土師活動に方向転換する最大の動機だった。

最も大切なこととは、写真家を目指した時からの目的、腐ることの大切さを広め、生態系の循環に人の生き方を組み込んで、生きる責任を果たすこと。しかし、キノコやカビなどのいわば他者を使っての写真活動では、残念ながら思うような成果は上げられなかった。だからこそ全ての人に直接係わり、絶対に無視できない(無視したい人は大勢いるが)ウンコでの再挑戦に打って出たのだ。

欲は、一つ実現すればすぐに更なる欲が湧いてきて、きりが無い。しかし責任は、果たしてしまえば完結し、後には満足が残るだけだ。何時やって来るかわからない、しかし確実に訪れる死を見詰めることで、欲に振り回されて貴重な時間を浪費するような愚を避けられた。
とは言え、すんなりと糞土師に移行できたわけではなく、しばらくは様々な不安を感じていたことも事実だ。それなりに評価されるようになり、生活も安定した写真の仕事を捨てる不安。なれ親しんだ、便利で快適なものを捨ててゆく不安。これまでの人間関係も失いかねない不安・・・。しかし、より深くウンコを知るにつれ、それらの不安は薄れてゆき、それどころか不便だと思っていた中にも、今まで気付かなかった新たなよろこびまでが、次々に目の前に現れてきた。

そもそもウンコ自体は死物だが、それなのに多くの他者を生かす素晴らしい力を持っている。
ウンコでいいじゃないか!
ウンコを蔑む傲慢な人間の仲間入りなど、願い下げにしよう。
ウンコのように生きて(死んで)みようじゃないか!!

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