ウンコになって考える ⑤不便は不幸か?

最新のニュースでは、「原発の寿命は40年」、「首都高速道は老朽化で危険」。
数百年もそれ以上もの長い歴史を経て現存する手造りの建造物に比べ、近現代の工業技術で造られた物の寿命はなぜか短い。しかも危険で、手に余る困った巨大ゴミに成り下がる。これが科学の勝利なのか?豊かさの代償なのか??

前回の「ウンコが出した答え」は、現在使い過ぎてる電力消費を、とりあえず半分に減らすこと。これだけで危険な原発も、よけいな代替エネルギーの開発も必要ないはずだ。
「キツネとタヌキの化かし合い」と言ったが、欲望のままに突っ走るのが原発推進派ならば、欲望をうまくごまかそうとするのが自然エネルギー派だ、とウンコは考える。
とにかく発電自体が環境を破壊し、その設備等が近い未来、とんでもないゴミ問題を引き起こすのは確実なのだから。

「人間は一度手に入れた豊かさや快適さは手放せない」と、信頼していた多くの良識ある人々からも何度聞かされたことか。そして、私の求める自然に即した生き方は、「理想論だ。現実離れした夢物語だ」と否定される。
やってもみないで理想をバカにし、そんな自分を「現実をしっかり踏まえた大人」だと正当化する。ウンコから見たら、それは卑劣で愚かなだけだ。『ウンコは良識の踏絵』に至ったのは2〜3年前のことだが、「良識派」に失望したのは、それよりはるか前のことだった。

長い間馴れ親しんできた便利なものを捨てるのは、私だって不安を感じる。しかし実際にやってみれば、意外に簡単だったり、どれほどの楽しさをもたらすか、間もなく実感できるようになる。実例を一つだけ紹介しよう。
全国を飛び回る写真取材には必要悪と、長年使ってきた車を数年前に手放した。写真家をやめて糞土師になったのが最大のきっかけだが、公共交通は1本の鉄道しかない田舎町では、大きな決断のが必要だった。そこで中古のカブを手に入れ、どうしても必要な時にはカミさんの軽を借りて乗っている。完全に車を断った訳ではないが、今一番の移動手段は自転車で、以前は月平均200ℓもあったガソリン消費量が、今では数ℓに激減した。
身体を外気にさらして走るのは、冬は寒いし夏なら暑い、雨が降れば濡れもする。でもその心地よさは、エアコンかけっぱなしの車内に閉じ籠っている者には理解できないだろう。そして、ひどかった腰痛は改善し、以前よりもずっと体調が良くなった。なによりも、車の維持費もガソリン代もグンと安くなり、写真家時代の数分の一に減った収入でも、不自由なく気楽に生活できている。今思えば、取材費を稼ぐためにも、きつい取材が必要だった。のんびり野山を歩き回って野糞をするのが仕事になるとは、なんて幸せな糞土師なのだろう。