ソウル講演、ボツになる ~ウンコになって領土問題を考える~

 10月12~13日、韓国はソウルで予定されていた全6講座のオーガニックガーデンシンポジウム。オーガニック植木屋として活躍する糞土研女王:曳地トシさん夫妻と共に糞土師も講師として招待され、春先には講演が確定していた。そこでの私の役割は、生態系の循環をウンコと野糞で語りつくすこと。いよいよ糞土師も海外進出かと意気込んでいたのだが・・・
 出発を半月後に控え、そろそろ打ち合わせをしなければ・・・と考えていた矢先に、突然シンポジウム中止の連絡が入った。思うように参加者が集まらないということだが、やはり竹島の領有権問題が強く影響しているのだろう。4泊5日の旅の間には、私自身もどこかでこの話題が持ち上がるだろうと考えていた。領土問題と糞土師活動は別かもしれないが、知らんぷりは無責任だし、その時に備えた私なりの思いもあった。竹島だけでなく尖閣諸島でも、戦争前夜のような険悪な声が聞こえてくる。糞土師らしく、ウンコになって領土問題を考えてみたい。

 争いの原因は人間(国家)どうしの欲の張り合いだし、歴史問題をきちんと踏まえて解決を・・・などと言っても、しょせんは人間の欲得の歴史だ。土地も海も、すべての生き物のための生活領域であり、元々そこには国境などはない。だれも住んでいない島(土地)なのだから、どの国も領有権を放棄し(我々日本人は率先してそれを宣言し)、あらゆる生き物のために自然のままにしておくことを提案する。
 もしもどこかの国に領有権が確定すれば、こんどは海底資源の開発などで大きな環境破壊が起こるだろう。むしろどの国も手を出さずに、漁業資源豊かな海域として残し、すべての人が公平に海の幸を享受できるようにするのが良い。国という枠を超えて、全人類と自然が本当に共存できる方法こそ探っていくべきだと考える。

 実はこれと似た様なことを、ずっと前から野糞のたびに考えていた。土地の所有権の問題である。私はほとんどの野糞を、自分の土地ではなく、公や他人の林などでしている。もちろん環境破壊や人への迷惑には充分注意しているのだが、厳密に法解釈をすれば、他人の土地への不法侵入や違法な廃棄物処理などに当たるのだろう。基本的には所有者がすべての権利を有するという人間社会のルールでは、命を返して生きる責任を果たすという行為であっても、犯罪になってしまうのだ。
 権利という言葉は重そうだが、それは人間が人間のために正当化しただけの欲求にすぎないと思う。そして、アイヌやアメリカンインディアン、アボリジニなどの先住民族が大切にしていた、自分たちは自然の中で生かされているという謙虚な畏敬の念は、現在の人間社会にはほとんどない。宅地などのプライベートな場所は別にしても、山野など多くの生き物が生活する自然の中では、所有権による権利の行使よりもっともっと大切なものがあることを、多くの人に考えていただきたいと願っている。