マカオの学生から、糞土師へのインタビュー

マカオの大学生 Sさんより、卒業研究のため、糞土師の伊沢さんへ文書でのインタビュー依頼がありました。糞土研究会 ノグソフィアとしては、このやりとりを価値のあるものと捉え、本人の許可を得て、以下にそのインタビューを翻訳して公開します。

----- インタビュー ここから -----

s_tS:
インタビューを受けてくださり、ありがとうございます。私の専門はデザインで現在卒論プロジェクトに取り組んでおり、「大便の美学」について調査しています。このプロジェクトでは、うんこを含め、物々が本来持っている印象を変える試みをします。うんこの価値を大衆に伝えるのですが、うんこは美しくあることもできると思います。それには、私の考えを消費者や大衆に受け入れてもらう必要があります。
多くの人はうんこについて説明したり話したりすると、気持ち悪く感じます。そこで、この悪い捉え方を変えるための方法を見つけたく、あなたにインタビューをしたいのです。
末筆ながら、思いやりくださり、ありがとうございます。

 
s_tS:
これまでうんこを芸術作品として写真に撮ったことはありますか?

i_t伊沢:
はい、あります。芸術作品というよりも、美しいと感じて撮りました。私は写真に芸術性は求めていません。写真は私にとって表現手段であり、事実はこうだという証拠写真です。ただし、良さや価値を表現するには美しさも大切だと思います。

 
s_tS:
うんこの中に美を見つけることはできますか? できるとすれば、うんこの中の美とは何ですか?

i_t伊沢:
はい。うんこには2つの美があると思います。
1.うんこそのものの美
 a) 形
 きれいなトグロウンコ。ツヤツヤしたバナナウンコ。時に面白いウンコが出ることもある。例えば「正座するウンコ」「トグロの上の擬宝珠形のウンコ」など。
 b) 色彩
 あざやかな黄色い下痢便など。

2.自然の中での美(ノグソの場合)
 a) 林の中で、朝日を浴びて湯気を立てるウンコ。
 b) 出したてのウンコに緑色に光るキンバエが多数とまって、まるでイルミネーションで飾り立てたよう。

 
s_tS:
私たちはどのようにすればうんこの印象を美しいものに変えることができるでしょうか?

i_t伊沢:
ウンコとは何かを知ることだと思います。プラスイメージを持てれば、おのずと良く見えてきます。実はウンコくらい価値のある素晴らしいものはないのです!

 
s_tS:
可能でしたら、うんこについて、「美」という言葉を使って説明してください。もしそれができなければ、あなたは「うんこ」をどのような言葉で説明していますか?

i_t伊沢:
「美」という言葉は入れていませんが、ウンコや野糞について、次のように説明しています。
・食は権利、ウンコは責任、ノグソは命の返し方。
・ウンコはご馳走 =自分のウンコは自分にとってカスだが、他の生物にとってはご馳走(食物)になる。ウンコのおかげで生態系の命の循環が成り立っている。
・ウンコは良識の踏絵 ウンコに向き合うことは、自分の生きる責任に向き合うこと。

 
s_tS:
野糞をするとき、自分のうんこに対して、悪いイメージや印象を持ちますか?
持たないとすれば、どのようにして悪いイメージをなくすことができましたか?

i_t伊沢:
いいえ。悪いイメージは持っていません。
ウンコに関心を持ったきっかけは、し尿処理場建設反対の住民運動です。みんなウンコは汚いと敬遠します。トイレにウンコをすれば、自分のウンコはだれかに迷惑をかけて処理されます。自分のウンコに責任を持とうと思った少し前に、自然の中では菌類がウンコを分解して土に還し、新たな命の素になることを知っていました。それならば、ノグソをすれば一石二鳥。
ウンコの価値と、ウンコの活かし方を知ったことが大きいですね。

 
s_tS:
誰かに野糞やうんこについて話すことに、抵抗はありますか?
ないとすれば、あなたはどのようにしてそれを乗り越えましたか?

i_t伊沢:
いいえ、いまは抵抗は全くありません。
元々、自然保護運動をしていましたが、特に菌類の分解の価値を伝える手段として、写真を使っていました。しかし、写真の限界を知り、新たな手段(=訴える=闘う武器)としてウンコと野糞に至りました。そして、ウンコこそ最強の武器だと確信するに至り、今では恐いものなしの心境です。

 
s_tS:
誰かに野糞やうんこについて話すとき、あなたはどのような気持ちで臨んでいますか?

i_t伊沢:
わかってもらうのではなく、わからせるつもりで臨んでいます。わからない人はわからなくてもいい。すべての人に受け入れられるようにすると、ソフトですが弱くなります。それよりも、わかろうとする人により深く伝えることが大切だと思います。これまでに多くの批判、反論を受けてきましたが、その批判をすべて受け止め、その批判に答えられるように努力してきた結果、糞土思想が深まり、強い説得力を持つことができたと思います。

 
s_tS:
どのようにしてそのような精神を得ましたか?

i_t伊沢:
もともと他人と同じことをするのが嫌いで、失敗や批判こそ成長の糧、と考える性格です。だれも触れようとしない嫌われもののウンコだからこそ未知であり、探求のしがいがある。また、自分でウンコをしていながら、それを批判する傲慢な人を、ウンコでやっつけるのは爽快なよろこびです(笑)

 
s_tS:
自分のうんこと他人のうんこに違いを感じますか?
感じるとすれば、それはどのような違いですか?

i_t伊沢:
はい、感じます。
私自身、ウンコは汚いという感覚は持っています。その感覚の強さが自分と他人では違うと思います。自分のウンコは少しの抵抗で触れられますが、他人のそれには強い抵抗感があります。ただそれだけです。

----- インタビュー ここまで -----

 
デザインの視点からウンコの価値を捉えようとする試み。触れられなかった分野だからこそ、探求の価値があるのかもしれません。
このインタビューを経て、Sさんがどのような成果を出すのか。研究終了後、成果物を報告してもらうことになっています。報告をたのしみに待ちたいと思います。