舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第1回

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

<第1回> 糞土師 舌がんになる

2014年秋から悩まされていた口内炎(?)は、年が明けてもさっぱり治る気配がない。おまけに2~3月になると、睡眠中に時々よだれを垂らすようになってきた。ある朝目覚めると、枕とシーツが真っ赤に染まり、鏡を覗くと舌の裏に穴が空いている。やはりがんかもしれない、という思いが深まった。しかし生き物である自分には自然免疫があるはずだし、それが病に負けてしまうなら、死期が訪れたのだと腹をくくるしかない。糞土思想のひとつ『ウンコになって考える』は死生観でもある。いよいよそれを体現する時が近付いたのだろう。しばらく前から、私は健康診断も拒否しているのだから。
4月になると舌の腫れはさらに酷くなり、食べるにも話すにも支障をきたすようになってきた。その一方で、講演会はこれまでのペースを上回る勢いで決まってゆく。命は惜しくはないが、糞土思想を広めるためにまだまだしゃべり続けなければならない。5月の連休中と10日に千葉と栃木であった3つの講演会を乗り切ったところで、長年の禁を破って病院に行くことにした。

「…大きさは…4センチ。舌がんです。タバコは吸いますか?」「いえ、吸いません」「では、何か思い当たる、がんになるような原因は?」「良識が悪いとか人権派は最悪だとか、あちこちで憎まれ口をたたいているので、舌禍が降りかかったんでしょう」とっさにうまい駄洒落が出たと悦に入ったのだが、残念ながら笑いは取れなかった。5月14日の地元病院で、がん宣告での医者とのやり取りだった。
翌15日、朝一番で紹介状をもらい、がんセンターが併設された県立中央病院へ。すでにⅢ期まで進行し、舌を半分切除するという医者の診断に、「私にとって舌は命以上に大切です。しゃべれなくなるくらいなら手術はせずに、死ぬまで一つでも多く講演をし続けます」「いや、完全に言葉を失うわけではありません。元通りに話すのは難しいかもしれませんが、リハビリで話せるようになります」。この言葉に希望を見出した。
糞土師活動はまだ道半ばにも達していない。すでに決まっている幾つもの講演会を棒に振るのは悔しいけれど、長い目で見ることにしよう。その場で手術は7月1日に決まった。そこで頭をよぎったのが、手術入院中のウンコをどうするかだった。
家に帰って直ぐ、信頼できる快便陶芸家:小峰尚さんに電話した。「実は舌がんで手術することになってしまい…」事情を手短に話して本題に入った。「牛乳の空パックを貯めてくれない? 入院中にそれを差し入れてもらい、かわりにウンコの入った牛乳パックを持ち帰って、中身を林に埋めてほしいんだ」いきなりウンコの運び屋を頼まれた小峰さん、受話器の向こうからアタフタしている様子が伝わってくる。糞土研の会計担当でもある彼は、お金だけでなくウンコの出納も快く(?)引き受けてくれた。ただ、一人きりで毎日面会に来るのは厳しい。誰と誰にも声をかけてローテーションを組み…、具体的な実施計画が進みはじめた。

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