舌が命 - 糞土師最大の危機は乗り切れるか? 第8回

※「糞土研究会 ノグソフィア会報 21号(2015/12/31発行)」の記事を9回に分けて掲載します。

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<第8回> ウンコ革命

人はよろこびを求めて生きている。そのよろこびは、夢や希望などという欲求を実現すること。そしてそれらの欲の多くは、他から奪い取ることで満たしてきた。生きるための食も、生活物資も贅沢品も、利便性を実現するためのものも、さらには権力などまでも、自然から、他人から、他民族から、奪って奪って奪いまくってきた。それが我々文明人の発展の歴史だろう。
しかし、欲こそは生きる力だ。欲を否定することはできない。だが欲を満たすには、奪うことだけでなく、愛などのように与えることでもよろこびという欲が得られることはみんな知っている。糞土師が目指すのは、奪う欲と与えることの欲のバランスをとって、全ての生き物が豊かな自然の中で安心して生きられる、そんな社会を実現することだ。そのために私は糞土思想を広め、ウンコ革命をおこそうとしているのだ。

9月の北海道講演旅行の最中に、胸の内でずっともやもやしていたものが、露天風呂の湯気の中からはっきりと言葉になって立ち現われた。糞土思想は『罪人(つみびと)の罪滅ぼしの思想』というものだ。私自身も食べて命を奪い、便利な文化生活を送っている、いわば奪って生きる罪人だ。だから命を返す野糞は威張れるようなものではなく、むしろ罪滅ぼしなのだ。そして全ての人間が私と同じ罪人なのだから、その罪を自覚し、みんなで罪滅ぼしをしよう、というのが糞土思想なのだ。
講演会の中で私は、ウンコに対して偏見だらけの常識だけでなく、良識や人権まで傲慢だと強く非難している。それは闘いだから強く激しく言っているのだが、聞く側からすれば、私の方こそ傲慢ではないかと思われているらしい。それに対応できる短い言葉をずっと探していた。糞土師は唯我独尊の教祖様などではなく、罪人であり、むしろウンコの僕(しもべ)なのだ。ということで、少しは正しく理解してもらえるようになるだろうか?
ついでに、常識・良識・人権についても簡潔な言葉を思いついた。『常識は思考停止。良識は八方美人の自己保身。人権は人間中心主義の傲慢の塊』これについては次号で詳しく書くことにする。

第8回 糞土師 ついにやけ糞に