野糞は神聖な儀式か?

「ノグソフィア」や「糞土師」の名付け親:小池桂一さんと管啓次郎さんによるすばらしい本ができた。
『野生哲学』アメリカ・インディアンに学ぶ(講談社現代新書)
土地(自然)に根ざして暮らしてきた土着の先住民を蹴散らし、文化を破壊し、土地も資源も略奪して肥大してきた西洋文明。それこそが、環境破壊にとどまらない現在の地球規模での危機を招いた元凶であることが明らかになる。
私の読解力ではなかなか難しい文章でしたが、是非みなさんにも読んでほしいお奨めの一冊です。

そして今、クジラの町:太地町にまで乗り込んで、知能の高いクジラやイルカを殺すな!と、力ずくで正義を振り回す環境団体:シーシェパード。
それに対して、こちらは「食文化論」で対抗するが、アメリカ・インディアンやアボリジニなどの土着民でも、アニミズムでも、バッファローなどと同じように低能・下等なものと見なして平然と抹殺してきた彼ら白人には、カエルの面にションベンではないか?糞土師ならば、「食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方」の糞理屈と、「ウンコは良識の踏絵」を突き付けて戦うのだが・・・

それはさておき、この本を読んでいて糞土師活動は、あらゆる現象や生物に霊魂が宿ってると考えるアニミズムに近いものがあると感じた。アニミズムには、時に生けにえなど過酷なまでの祈りや儀式も伴うが、それは自分たちを生かしてくれている者(神)への、命がけの感謝の表現ではないかと思う。
そういえば、糞土師の日々欠かさぬ野糞も、自然と生き物たちへの全身全霊での感謝とお返しの儀式だ。普段は楽しくて快適な野糞も、真冬の深夜の下痢の時など、まさに命がけに近い野糞が時たまある。もしかしてこれは、そういう事だったのだ。